バイク雑誌

 上記3冊の各バイク雑誌は現在発売中のものでいずれも自腹で買った雑誌である。それぞれに友人が絡んでいるのでどの雑誌も売れてがんばって欲しい。上下関係があるわけではないので雑誌は横並びで並べてみました(気をつかってます(笑))

まず左端は、ボーンバイカーズ36号。モーターマガジン社からの刊行物である。今月から表紙は友人GAO氏のイラストとなった。イカシテいる。92p〜93pにはスズキバンバンをベースとしたカスタム記事も担当しているので是非売り上げ貢献を(笑)650円なので買いやすい。前半は大型スクーター記事で個人的にはつまんない。マジェのカスタムを初期に行った黄色い所さんのセンスはやはり偉大だなあと思う。
 読み応えありそうなのがロッカーズ関連の記事。あの有名なACE CAFEの現代の写真もある。もうひちつはISDEのエンデューロレースの記事。これも読み応えがある。確かトシニシヤマさんが昔KTMで参戦していたレースだが、最近久々に記事をみたような気がする(わたしがガルルとかを買わなくなっただけだけどね)

続いて真ん中の写真は、先頃新創刊になったハーレーフリーク。3拍子の音の追求ページが笑えます。個人的にこういうの好き。あとHittonHPでもお世話になっているドクターくるま氏の腰痛講座や、その他、HDNのtaku氏や盗難問題に取り組むkitaさんなどネット関係知人・友人てんこ盛り!(笑)極めつけのコワイのはハーレー乗りを旦那に持つ奥さまたちの座談会。mariさんコワーイ( ̄_ ̄;とにかく、身の毛もよだつコワーイお話です。特ににゅり家の話は、うちといっしょじゃん!と我が家でも言及されました。(泣いている赤ちゃんを見ていてと言ったら、ほんとに見てるだけ・・のくだりです。ブラボー!にゅり!(笑)(^_-)-☆
 なにはともわれがんばってください>TOOL編集長

右端は、培倶人4号。月刊化決定とか。118-121にはHDOの記事連載中です。今回はティピキャン。HDOではティピキャン恒例キャンプなのですが、なぜかいつも私は仕事と重なって参加したことは・・次回こそは!
 ティピーテントには思い出があって、10年以上前に某自動車メーカー勤務の友人デザイナーがティピーテント買ったからキャンプにでかけましょう!って行きました。ジムニーの幌車の後ろをオープンにしてね。
 その巨大なポールとテントは既製品というのもすごいけど(笑)リバースチールというブランドでその名の通り川崎製鉄製品(笑)
 テントをやっとたてて中で、キャンプしたのはいいけど、煙がこもってほとんど人間スモークドキャンプでした。その後、世界の天幕の専門書を何冊か買って、モンゴルのゲルとか、ティピーテントについて調べてみたんだけど、ティピーテントっていうのはやはりあの穴の空いた上部がミソ!なのよね。
 部族で移動してその酋長が、設営を指示。風向きをみて風下になるようにあの上部の開口部をもってくるとちょうど風の流れで、キャブレターの負圧状態のような状況を作って内部の空気を抜くという仕組み。道理でなかなかうまく風がぬけなかったわけですなあ。
 おっと話がそれたけど、カウボーイハットをかぶったなんちゃってカウボーイの姿をご覧あれ。

ということで今月は、バイク雑誌3冊の紹介をしてみた。

 せっかくなのでバイク雑誌に関する思い出と思う事を少し書いてみたい。
それはわたしのバイク生活と雑誌はかなり深く相互に結びついていたからである。

 私がバイクとバイク雑誌を指折り数えて楽しみにしていた時期はやはり高校生の頃である。毎月24日を楽しみにしていた。
一番思い出深いのは高校2年の夏、サイクルワールド誌が創刊になった時だ。
1983年の夏である。表紙は垢抜けたデザインで、バイク雑誌なのにバイクが表紙ではなく笑顔の片山敬済氏だった。衝撃的だった。なんというカッコイイ雑誌だろう。思わず買ったのを覚えている。
 内容も表紙に負けない内容だった。創刊号から5年間ぐらいは毎号欠かさずに買っていたのを覚えている。
少し意図的にアンダーの写真で、世界GPの写真が決まっていた。写真としてもカッコイイ写真だった。ケニーロバーツとフレディスペンサーがバトルし、ローソンやマモラ、スタートがやたらに速いロケットの異名をとったロン・ハスラム。もちろんこれに片山選手も加わっていた。
 ツーリングの記事は、信州や北海道・そしてニュージーランドはじめ海外への夢をかきたてた。
 この1983年〜85年にかけては空前のバイクブームで、バイク雑誌も次々と創刊されていたのを記憶している。マイナーなところではモトラードとかALL BIKEなんてのもあった。The BIKEもよく買っていた。アウトライダーの創刊準備号としてランブルというムック本も買ったのを覚えている。

まだ小型自動2輪の免許を3ナイ運動の中、極秘で取得した身としては、禁断の香りも混じったおおきな夢の世界がその雑誌の中に広がっていた。

 その後、私は発売直後のSRXに乗るようになった。これを買うときにはヤマハの年間機関誌である55mphを熱読した。いまでも手元に家宝として(笑)55mphは創刊から数年間分は手元にある。メーカーの機関誌の域をはるかに超えた素晴らしい内容だった。
 当時城東区にあったちいさなシングルショップによく顔を出すようになり、モディファイが進行した。サイクルワールドも相変わらず買っていて中でも小野かつじさんが古いシングルマシンを駆る写真に憧れた。
 ペアスロープ製のネックの長いスェットを黒い革つなぎの上から着た写真に憧れて同じ服を差がしたこともある。やがてクラブマン誌が創刊になり、これもよく買っていた。創刊準備号の正方形のカタチをしたBOWさんのイラスト表紙の号が特に好きだったが、これはSRに乗る友人にあげてしまった。

 この頃から友人関係が走り屋系が増えて、早朝の峠や中山サーキットに走りに行ったりするようになった。
大坂の池田市にあったバイク屋のツーリングは凄まじく、あとにも先にもあそこのツーリングのペースは異常に速くて好きだった。今は命が惜しいのであんな走りはとてもできない。ちなみにこのツーリングでは当時モリワキレーシングで大活躍だった宮城光が普通に走りにきたり、あるいは青山高原へのツーリングではプライベートでヨシムラの辻本選手がふらりと走りにきていたのだ。
 今思えば私のライダー人生の中でこの時代が一番コーナーリング速度が速かったと自負している。おっと話がそれたが、この頃よく買っていたのはライダースクラブである。根本編集長のヘルメットに憧れて、当時時々しか入手できなかったライダースクラブのステッカーを同じ位置に貼っていた時代だ。
 松下の冷蔵庫でパーシャル冷蔵庫というのがあったが、当時誌面でもアクセル開度の表現でオンでもオフでもない状況=パーシャルという説明が印象的だ。ちなみにチェーンの上側のたるみをつくらない程度のアクセル開度であった(笑)

 夏になると必ずといっていいほど北海道ソロツーリングに出かけていた私は、気が付くとオフロードバイクの世界に惹かれるようになる。10年以上前の北海道ではそこらじゅうにダートが残っていたし、国道を走っていても未舗装路には遭遇したので当然と言えば当然成り行きである。
 それとサイクルワールド誌には、その後ガルルの編集長となる打田氏と、カッコイイ文章でパリダカ2駆走破した内田氏の2人のカルフォルニア記事やバハの記事があったのも大きな要因であった。

 はじめはヤマハのDT200を買ったものの、オフロードでの2サイクルの特性がわたしの乗り方に合わなかったのと、オイルを携行しなくてはいけない事に不安を感じ、SRXとDTを2台手放して4ストのバイクを買うことにした。これが88年式の北米仕様XR250である。当然ながらこの頃はガルルに熱中で、バックオフという雑誌も買っていた。横浜の246号線の荏田にスターズ&ストライプスというお店があり、年に2度、大坂からこのお店の常連客と富士山に走りに行った思い出が印象深い。スターズはガルルにそれはもうめちゃくちゃカッコイイ広告をのせていたので、尚さら当時のXRは輝いてみえたのである。

この頃、関西限定バージョンのバリバリマシン?(確かこんな名前)という峠族用の雑誌があったのだが、この中に、昭文社の関西版ツーリングマップルを編集していた鈴木さんという方の林道記事があってこれが実に楽しみだったのを覚えている。当時の関西版と他の地域のツーリングマップルでは地図上のコメント・言葉の表現がとてもドラマティックで、ああここの林道走ってみたい!と思わせる内容だったことを記憶している。


ボロボロだが、わたしのSRX400からはじまってXR250にいたる1980年代後半に愛用していたツーリングマップ。特に和歌山県の林道には毎週土日に冬も夏も通い続け、ひたすら走ったので今でも地図をみているとあの頃の思い出が蘇る。XR250のライトカウルとスピードメーターの間にはさんで使用していた。


 その後北海道から九州まで主だった林道を走ると、林道への興味はすこしなくなり、久々にロードバイクに乗りたくなった。ところが新しく買った400でツーリングに参加すると、周囲は限定解除したライダーばかりでカワサキやホンダの大排気量バイクばかりである。
 峠を走ってもなんの遜色もないばかりか、私の方が速いのだが、目つきが400のくせにはやいじゃん!とどうも語っているような気がして、限定解除に挑戦することになる。どうでもいいこと、排気量とか峠での速い遅いにムキになってしまうところがライダーの悲しい性(サガ)であろう。(笑)

 限定解除挑戦に関する記述は以前にも書いたので割愛するが、晴れてドカでもハーレーでも乗れる身分となった私はうれしくて仕方がない。スポーツスターが欲しくてこの頃から買うようになったのがホットバイクジャパン誌である。そしてバイブズ誌の購入生活がはじまった。
 バイブズ誌で好きな記事は、いろんなハーレーに笑える自作キャリアやアイデアモノで積載する特集が好きだ。つくづくハーレーは旅人の乗り物なんだと思える理由が見えてくる。
 ホットバイク誌で好きなのは編集長の伊豆1人こもり日記やシラセ氏のコラムである。
やがてメールのやりとりがあったある女性からもうすぐあるハーレー氏が創刊になり、その記事を書くようになるんですと聞いた。それがクラブハーレー誌である。

 2輪雑誌というのは元々2輪のオートバイという専門誌であるが、その中でさらに専門誌として存在するのがハーレー誌である。定期刊行が3誌もあり、さらに通常の2輪誌がハーレー特集を組む事もあるので、その競争が熾烈であることは部外者ながら想像に容易い。ハーレー以外でこんなに狭い分野に専門誌が何冊もあるという事も凄いことだが、できる限りどの雑誌も存続して欲しいと思う。廃刊や休刊は、読者としてなにより寂しい。

 私の身の回りの話しを聞くとほとんど雑誌は最近買っていないという。理由は簡単である。すでにハーレーの世界に身を置いてそれなりに月日が経過しているからだ。
 雑誌の持つ大きな役目は、やはりその内容だろう。特にハーレーを知らない者にとってなおかつ知っている者が見ても魅力ある記事を満載するのは難しい。さらに締め切りやモロモロの事情で締め切り優先で進行する。
 締め切りとは目標であり、ないと完成しない。あるいは区切りができないという側面もあるが、悪く転がれば、すべてが締め切り優先となってしまうだろう。
 メーカーでは商品企画の際に倉入れ時期というのがあってその時期を目標に逆算してすべてを進行する。当然、なにかにトラブルがあれば徹夜になることもある。ただ、商品企画そのものに問題があり、そんな商品を世に送り出しても売れないばかりか、なんの役にも立たず、かつそれを生産する側も実はよくわかっているというどうしようもない事を何度か経験したことがある。商品企画ができあがり、倉入れ時期や予算や体制がすでに整って動き始めると、いかなる正論も、意見も一介のデザイナーの意見などまるでないかの如くである。
 しかも案の定売れなくてもだれも責任をとらず、他部門へのなすくりあい。
一つの企業ですらこの有様なので、戦時中の大本営の発表や、軍部への作戦不信感など想像に容易いが、軍隊という組織上一言たりともだれもなにも言えない状況とは、まさに昨今の日本の不況や政治・官僚の構造を垣間見るような気がした。

 話が大げさになったが、誌面を埋めるための無理矢理な記事、突貫な取材。表面的な写真。タイトな締め切りにも要因があると思う。無理に毎月発売する必要もないし、隔月とか年4回とか期日にとらわれるべきでもないと思う。毎月発行すれば部数が伸びると考えるのは出版社側の論理であって、購買層からすれば毎月買う義務も義理もない以上、その雑誌を買うか買わないかは中身の勝負となる。

「仏を作って魂入れず」という言葉があるが、魂の入ってない記事は不思議と見る者のココロに響かない。
ライダーはバカではない。ホンモノを見抜く眼力が備わっている。深夜の通販CMを見て衝動買いするような購買層とは違うはずだ。

いろいろ書いたが、少しでも多くいろいろなバイク雑誌を買える世の中であって欲しいと思う。
バイク雑誌の魅力。それは、その雑誌を見た人が、バイクを通じた夢を感じることができる。これに尽きると思う。

2003年5月9日

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