週末、房総半島で何年かぶりにキャンプファイアーをした。
そのキャンプ場では15名以上の団体客にはサービスでキャンプファイアーセット(薪を櫓に組んだやつ)が準備されるそうだ。小学校の山の学習時間を思い出す。オリエンテーリングや暗夜行路。火を見ているとマイムマイムを踊りたくなる。夜になると好きな女の子の名前を告白するのがどの三角テントでも重要課題であって、翌朝には恋のライバルがあまりにも大勢いる事実に驚愕するのが常であった。そんな事を思い出しながら炎をみているとやがて櫓は崩れて炎は小さくなった。
薪を追加する。たき火時間のはじまりだ。その炎を見つめながらなにをするでもなく深夜まで、いや早朝の4時半まで起きていた。パチパチ燃える炎をみていると妙に安らぐ。海際で波を見ていると同様に、人間が本能的に惹かれるなにかを感じる。
DNAという言葉を、その言葉の意味も十分に説明できない私が使うのも恥ずかしいが、なんだかそういうDNAとか細胞とかそういう難しい言葉の奥底にあるような、まだ未知の単位で惹かれる魅力をたき火には感じる。これは映画や音楽といった人間が創ったものよりももっと根底の部分で魂をゆさぶるような何かである。
人類史の中では、火の出現。火を使えるニンゲンは、野生に近い生活をしていた時代においては画期的な出来事だったと小学校の頃に習ったが、まさしくそれを実感できるのがたき火である。
最近なんでも癒し系という言葉が持てはやされる昨今だが、人間にとって最高の癒しは実はたき火である。という持論に達した一夜であった。