以前から感じていた事が最近にますます酷くなってきた。
一言で言えば、腹が立つ。そんな事に腹をたてる私がすでに時代遅れなのか・・。
それはEメールに返事を書かない人がどんどん世の中に増えてきていることだ。しかも見知らぬ人の無礼ばかりか、なかには実在の人物を知っている場合もありに思うこともある。この最近の風潮が、いい傾向なのか悪い傾向なのかわからない。
Eメールというツールの使い方として自然にそうなってきているのかもしれない。
だが個人的には悪しき風潮であると感じている。
以前にも似たような事を書いた時、自分の事?と気にしてメールをくれた方がいたが、気にしてくれるような人なら返事をくれない事もないだろうし、私が思い描く人ではない。(笑)なんでもそうだが、ほんとに聞いてほしい人に、その声は届かないものである。
ここでいう返事とは個人的なメールでかつ最初のメールに関しての何らかのアクションとしての返事を指すので、何度もメールが行き来したあとの返事ではない。返事なしとは、最初のメールに対して長い期間も全くの無反応であることだ。また人になにかを頼んでおきながらそれに関する返事を書かないことも含まれる。
そして業務上のメールのやりとりにおいては腹立ち対象に含んではいない(笑)
さて本題に入りたい。私のEメールの認識はあくまでも昔からある手紙の延長だと思っている。個人から個人へ連絡や近況をつたえたりする伝達の道具(ツール)である。紙と鉛筆が、ディスプレィとキーボードになり、郵便がデジタル信号に変わっただけで、道具ツールの違いこそあれ、人間と人間がコミュニケーションを行うという根幹の本質部分では何ら変わりがないはずだ。
そして手紙が来れば返事を書くのが礼儀というものだろう。戦国時代でも敵対する相手からであってもなにかの書状に対して返事を書いたはずだ。それが今や返事を書かない人が増えている。
返事を書かない、あるいは無視する人の理由を以下にいくつか挙げてみた。
まず返事を書かない人が増えている最大の理由はおそらくメールの重要度がわかりにくいという点ではないか?と考える。
たとえば通常のハガキや手紙であれば、家の郵便ポストをあけて、知らないお店からのダイレクトメールや勧誘メールは中身を空けずとも想像できるので、その場で捨てることができる。逆に自分宛の白い封筒は明らかに手紙であるので中身を空けずに捨てる人はいないだろう。
ところがEメールでは重要度の設定ができても、実際にはその作法は確率されていないと言っていい。すなわち大量にやってくるメールは内容をよく読まないかぎりその重要度がわからずあるいは全体的に、とても低い認識となってしまうのだ。せっかくその人のために書いた手紙も何万通も無作為に送信されるゴミのような広告メールも受信する側では同じレベルとなってしまう危険性があるのだ。
しかもそれをよりわけるには、受信する量が増えれば増えるほどなんらかの努力をしないと、読まれないうちに消去されたりしまう可能性もある。
返事を書かない人が増えた最大の要因は、この未承諾広告のDM広告的なゴミ宣伝メールの悪しき影響だと考えていいだろう。
だがこれらを克服する方法や整理する方法は、きちんとメーラーの使用法を調べればいくらでも迷惑メールを自分なりに処理することや、あるいはメールの重要度を分ける技術はみつかるはずだ。また個人用と仕事用、そしてどうでもいい広告用などにメールアドレスを使い分けることもできる。
どんなメールも見ないというならば、迷惑電話が多いから、電話には一切出ないと言うのと同じになってしまう。それならば必要に応じて裏電話を設けなければならない。電話が通じない電話番号は意味がないし、電話に出る気がないのに番号を表示しているのと同じである。そもそも通じない電話をかけてしまった相手に対して失礼というものだろう。
第2はそもそもEメールを利用しながらも、Eメールを重要な連絡手段としていない人々である。たとえば月に1回、2回しかメールチェックしない人や、メールチェックしてもあまりEメールを手紙とは思っていない人である。
他人のメールチェック回数なんておおきなお世話だ、わしは1ヶ月に1度しかメールは見ない。あるいは送信はするけど受信はしない!そんな輩がいるのかもしれないが、手紙の送り手からすれば甚だ迷惑な話である。手紙を送って返事がこないのは、たとえていえば郵便受けに入った手紙や種類を全くみないのと同じで、送信者に不安を抱かせる。仕事が忙しい、あるいは病気、あるいは返事を書かない事でなんらかの意志表示を暗示しているのだろうか?などといろいろ考えてしまう。
郵便の手紙の場合でも、返事をかかない筆無精な人!という事が認識されてしまえば問題はないのと同様に、Eメールでも最初から返事がこない人はいいのだが、途中から突然音信不通になるとなにかあったのか?と不安になるのが私の正直な気持ちである。
第3の要因としては、すでに大手の大企業では、返事について必要最小限しかしないという暗黙の使い方ができつつあるのかもしれないなと感じる事である。企業の業務上のメールと私的な個人的なメールの使い分けや読み分けができない人が多いのかもしれない。
私も仕事上のメールでは必要最小限のメールと文字しか入力しない。私の場合のEメールは大きくわけて4つに分類される。
業務のメールが2種類。そして私的メールが2種類である。業務のメール2種類とは、商売上お客様に対するメール(注文や問い合わせ等)と、取引業者で特にこちらが客やパートナーとしての業務メールである。
誤解のないように言っておきたいのは、お客様に対してのメールは、返事があろうがなかろうが、全くと言っていいほど気にならないし、多少の暴言や無礼なメールを受信するのには慣れている。むしろお客様の方から丁寧なお礼メールをいただく事も多いので、こういう時にはこちらが恐縮してしまうほどだ。うれしくなり、日本人の礼儀正しさはまだまだ息づいているな!とさえ思ってしまう。
私が最小限のメールしか打たず時には、返事もしないメールはこのこちらが客やあるいはパートナーとして同レベルの取引業者などに対するメールだ。(それでも最小限のマナー文は欠かしていない。と思う・・。)
思うに大企業に勤務する友人やその関係者の方が、私的なメールでさえ返事を書かない傾向が強いのは、この業務メールの方法が、私的なメールにも普段の癖のように悪しき影響を与えているのではないかと思えてくる。特に、直接お客さんとメールのやりとりのない部門の人の方がその傾向が強い。またその逆に、時々もっともらしい事を書いているような雑誌や新聞のように明らかにまだEメールを日常的に使用していない人々にも、このEメールを軽視する傾向にあると言ってよい。
これらメディアにはEメールやBBSあるいはチャットは仮想の社会であってそんな非現実な世界は現実とは違うと書かれている。ある種そういうサイトやBBSが存在するのは事実であるが、一部ですべてを評価する傾向にある。最近はその傾向も薄れたが、インターネットを知らない世代の方々にはいまだに、その報道の影響からなのかインターネット=悪(あるいはエロ)=近寄ってはならない存在という認識が強く、現にWEBの注文に関する問い合わせ電話を注文した本人が不在の際に、家にいる年輩の方が電話で会話をしているとインターネットという単語を発しただけで、ガチャン!と切れれてしまう事は日常茶飯事である。
テレビや雑誌のメディアが軽視するのは自由だが、その世界を知らない年代の方にWEBやEメールといったツールが、事件や犯罪のツールとしてのイメージが強烈に定着している事は疑うべきもない事実だろう。
仮想社会という表現こそが、実は、世の中に誤解を与えた単語ではなかったのか?と今更ながらに思うのである。たとえばゲームや匿名性の高いチャットはまさに仮想社会であり、これらの仮想社会と現実社会が見分けがつかなくなってしまった故に犯罪・・・という報道をよく目にするが、ここで注意しなくてはならないのは、インターネット=仮想社会だと誤認してした人々があまりにも多いのである。この誤認は、よくインターネットを利用すればその認識の誤りに気がつくが、知らない人やあまり利用しない人の方がその誤認は訂正されないのである。
インターネットにおいてバーチャルな世界はほんの一部分であって、多くのサイトやホームページは現実に存在する会社であり、商品であり、そして生身の人間の存在する社会があるのである。伝言板やチャットの向こう側には生身の人間が存在し、喜びも悲しみも、そして怒りも実社会と同じである。この事を、メールに対して返事を書かない人々の多くは誤認識している可能性がある。いや、頭では仮に理解していたとしても、どこかに誤認識した部分があって無意識のうちにEメールの返事を軽視しているのかもしれない。
もう一方では、筆無精の逆の人々、すなわち筆マメな人が、Eメールの登場のおかげで大量のメールを送信するようになってしまった弊害も見逃せない。
丁寧な言葉できちんと書かれていても内容はとるに足らない報告であったり、(受け取り側として)あるいはどうでもいいようなメールや質問が増えてしまっている傾向は否定できない。私自身は、多少の内容の反応度こそ違え、ほとんどのDMには返事を書くように努力しているが、中には、返事を書かないと決め込んでいる人がいても不思議ではない。これを送信者側から考えると相手からは、あなたの手紙は返事をするに値しないくだらない内容ですと無言に言われているような気がしないでもない。
特に知人や恩人からの返信がないと、気になってしまうのである。私もナイーブな(気持ち悪い単語だなあ・・(笑))な面を持ち、痩せる思いである。(あくまでも思いね!)
そんなことをいちいち気にしていると体型的に似合わない(笑)という声が聞こえてきそうなので、私の場合は順次、そういう対応の人にはそれなりの対応で対処しようと思う。目には目をである。だがこうした対応はすなわちやはり最近の流れになるのか・・だとしたら相手はどうであれ自分だけはひたすら返事を書くのも悪くないなとも思う。
余談だが、口癖のように「忙しい・忙しい!」を連発する人は結構暇である(首相比・大統領比)これは断言してもいい。首相・大統領比と書いたが、一国の首相や大統領はだれが見ても相当にハードスケジュールである。さまざまな問題や議案の決議や会・接待や発言など。だが口に出して「忙しい・忙しい!」とは言わない。言っている暇もないのである。忙しいと口に出すのはあくまでもその人の普段の日常と比較して忙しいと言っているだけであって比べる対象により、客観的にみればかなりヒマであることは、忙しいという単語を口に出す頻度が高い人ほど、実は職場の中ではヒマですヒマです!を連発していると考えて差し支えない。
また仕事は忙しい人に頼め!という諺もあるらしい。忙しい人の方が、うまく時間を調整し、素早く仕事を済ませるからだそうだ。
メールの場合も返信の応答が速く、かつ必ず戻ってくる人はメール流量が多い人ほど戻ってくる。メールを返信しない人の多くは自称「忙しい」方が多い。
話を最初に戻すが、Eメールに返事を書かない人がどんどん増えてきていて、これがいい傾向なのか悪い傾向なのかわからない。と最初に書いたが個人的にはもちろん好ましくない傾向だと思っている。
もしこのまま返事をしない風潮が大きな流れになるならば、私はその流れに身をゆだねるつもりは毛頭ない。
そんな流れなら、くだらないし不愉快だ。流れに逆らってでも逆行したい。あるいはその流れからは出てしまいたい。とさえ思う。この流れから出るという事はIT環境から離脱するという意味である。
少なくとも1995年頃まではほとんどの人が携帯電話もネット環境もなかったわけで、なくてもなんとかなったわけであるから、こんなものなくても実は、人は楽しく生きて行けるはずです。今やなくてはならないと思っている世間の常識は実は大嘘だったりするわけで、なくてもぜんぜん困らないと確信している。
機会があれば本気で携帯電話もWEB関係もやめてしまいたいと思う。ただ現実的には不快な面と・利便さを天秤にかけた場合、利便さの方が勝っているだけの話である。
2002年11月