視線

 通勤途上で信号待ちしていた。ちょうどその交差点には不動産屋らしく全面ガラス張りの店舗があった。
 背広を着てネクタイを締めたいかにも、という人が一心不乱に机の上の書類に目を通していた。
 かなりオープンなお店だなと思い、特別な意味もなくその人を見ているとその人が突然顔を上げてこちらを見た。目と目が合った。
 特別この人に恨み辛みもない私は思わず視線を外した。むこうもまた下に向いた。文章にすると長く感じるかもしれないが、信号待ちの間の数十秒の出来事である。よく、となりに並んだ車のドライバーがこちらを向けば視界の中での動きや気配で感じることはあるけども、この時は歩道も含めてその建物のさらにかなり奥の方でしかも一心不乱に書物に目を通していたひとが突然私の方へ向いたのである。しかもわずか数秒で。
 少林寺拳法をはじめ武道では八方目という視線を教えられる。八方美人ではなく八方目である。
 これは外敵に対して正面の相手だけでなく常に八方に神経を使い、目線は正面であっても神経としての目線は周囲180度以上にわたって注意を怠らないという方法だ。訓練するとこれは有効で、乗り物。特に2輪車でコーナーに入って行くときもこの原理を活かすことができる。主たる視線のウェイトは走っていくコーナーの常にイン・インを視線送りしながらとらえつつと同時に障害物や他の要因情報もとらえるのである。
 信号が青になり発信したが、あまりのタイミングのよさに少し戸惑いながらひょっとしたらあの人は武術の達人なのかと思いながら視線が持つ目に見えない力を考えた。

 目の動き・視線・視覚情報は人間にとっていや人間に限らずほとんどの動物にとっては重要な部分だと思う。動物の中には他の嗅覚や聴覚が発達した種類もあるが、人間の中では重要度は高い。
 と同時になにかいまの科学では解明されていないようなパワーを持っているのではないかと思う。
 「目は口ほどにモノを言う」という格言もあるが、太古の昔から人間の感情や考え、内面が目を通してどうしても出てしまうのだと思う。
 ウソをついているときは相手の目を見ることができない。あるいは目が死んでいるという表現もあるが、目は物理的にも内面的にも外部と接する重要な部分なのだ。

 10代20代と異性にもてなかった私は残念ながら熱視線を発射することはあっても受けたことはない。モテモテだった輩と話しをすると自分に気があるかどうかは視線でわかるという。よく考えればSF物語のようだしエスパーである。
 やはり目は口ほどにモノを言っているようだ。

 だとしたら最初の信号での出来事は、あたしの目線はなんとしゃべっていたのであろうか。きっと
「えらく開放的なやなー。ところでおっさんは一心不乱になにみてんねん」となぜか関西弁で話しかけていたはずである。
するとおっさんの目は
「何みてんねん!なんや!用でもあるんかいな」
としゃべっていたに違いない。

 気が付かないうちにテレパシーで会話していたのである。
まだまだ世の中不思議な事だらけである。

2002年6月13日

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