車文化という言葉がある。車と文化が複合したものだ。文化という名詞は、辞書によれば「世の中がすすんで生活が高まる状態」という。
戦後欧米を見本にして日本の生産力を多いに助け、また車という工業製品を世界一の売り上げまで伸ばしてきた日本。自動車が高嶺の花だった時代をすぎてマイカーの時代を経て、やがて高級車は一種のステータスを示す状況だった。やがてそれすらも薄らぎはじめた昨今、日本車で文化度の高い車とはなんだろうと考えてみた。
便利で実用度の高い車もある。高性能で素晴らしいパワーのスポーツカーもある。室内外共に高級でメルセデスと並べても遜色のない車もあるだろう。だがこれが日本の車文化を象徴する車だ!と断言できる車がすぐに思い浮かばない。
「世の中がすすんで生活が高まる状態」とはどういうことか。生活が高まるとは、単に楽になるとか物理的に早いとか壊れないというスペック的な数字ももちろん重要な要素であることは確かだが、それだけでは高まるという表現は不的確な気がする。
高まるとは・・何か?私見だが、ひとえに精神的な内面。余裕であったりゆとりであったり楽しさ。感受性や想像性を要求する音楽や絵画に近いようなメンタルな部分だと思う。
すなわちこれらの要素を考慮した車や車社会が、高い車文化だと言える。
間違っても渋滞風景や排気ガス、ささいな事でのトラブルや口論。クラクションの洪水は車文化の高い風景ではない。
以前知人の車でパリ市内から郊外までドライブしたときに気がついたことは車の台数の割には街全体が静かで、信号機も目立たない場所にあり、クラクションの音もしない。間違っても信号機からは音楽は流れないし(笑)みたくもない酷いセンスの看板もない。とにかく全体的に静かで大人の印象だったのである。経済と効率だけを優先してきた日本との差が街の表情でも違いとなってあらわれている。
日本は効率のいい車は多い。安くて快適で故障しらず。隅々まで実によくできている。しかしその完璧さ故に、私は今欲しい車がなくて困っている。
フィットという車が売れている。価格も安く内部が広く4ドア。素晴らしいヒット車だ。欲しいなあと思う。だが欲しくないなあとも思う。
欲しくないのは、あまりに売れているものに対しての天の邪鬼な心もあるが、最大の理由は、完璧すぎて、破綻した部分がないからである。無駄というか、ゆとりというか、はじめからこれは売れるだろう!というメーカーの意図も見えすぎでどうも好きになれない。誤解のないように言っておくがかつて私はホンダの大ファンだった。実家で初代アコードから乗っていたのでホンダファンである。かつては軽の王様メーカーとトヨタファンからはバカにされた時代を過ごしたホンダのファンでもあった。企業の発展と収益の点ではこの頃はまだ未熟だったのであろう。そのかわり車は魅力にあふれていた。
シティが発売され、モトコンポ付きのバイクが収納できて、その後シティブルドッグや、カブリオレが発売されたときは、なんてホンダは楽しい車を作るのだろうかと感銘を受けた事が印象的だ。その後友人の古い初代バモスに乗りオープン走行したときに天井がない車とはある種ヘルメットを被ったバイクよりも開放的な面があるんだと感動した。楽しかった。
あの頃から15年以上の歳月を経た今、当時より数倍巨大企業に成長したホンダには、残念ながらあのシティカブリオレに変わる車は存在しない。
あるのは売れ筋のよくできた車ばかりである。車の内容も燃費も性能もすべてそつがなく80点以上の車だ。企業経営も車も優等生である。
逆にかつてはすべてが80点以上の車作りと評されたトヨタの方が今や、売れそうでない車やオープンカーをラインナップに持っている。老婆心ながらホンダの好調ぶりは逆に不安なものがある。
ちなみに私は今日産ファンである。具体的な車がどうこうというより、 新車すべてに元気を感じるからだ。
話がそれたがここからが本題だ。私が今世界中で、もっとも車文化を感じるのはプジョーのカブリオレだ。(単に私が欲しいだけという説もある)
プジョーというフランスの自動車メーカーとしての歴史は古く、最古参メーカーのひとつだ。カブリオレというスタイルもプジョーが最初だったと思う。
今私が気になる206CCというモデルはハードタイプのルーフが、トランクに収納される。メルセデスの真似だと思うかもしれないがどうやら戦前からハードタイプの収納はプジョーで行ったらしく真似ではないのだ。
父が以前ランチャ・テーマからプジョーに乗り換えた際にディーラーに行くと壁にクラッシックカーの写真がかけてあった。世界初のカブリオレの写真だ。
カブリオレは新しいようで実は最も伝統的なスタイルでもある。
以上のような背景をふまえて突然ですが、私は時代はカブリオレ!だと断言したい。カブリオレには、必要性のなさ・ゆとり・楽しさ・余裕がある。
4人のってオープンエアな走行をする。排ガスの渋滞路ではなく森林や太陽光が輝く海岸線を走るのだ。そして会話する。楽しいに違いない。
カブリオレはオープンカーだが、オープンカーイコールカブリオレではない。コーナーを全開で駆けめぐるのも楽しいがゆったりドライブする楽しさをカブリオレは教えてくれる。
日本の自動車メーカーすべてにこの採算のとれないカブリオレがラインナップされる日が来ることを望みたい。売れなくてもくじけてはいけない。往々にして文化度の高い絵画や音楽は現世では金銭的にも苦しみ評価は歴史が行うものだ。今すぐ採算がとれなくても確実に日本の自動車文化向上に貢献するはずである。次世代への布石はカブリオレからはじまる。
後期:このコラムを書いたのはしばらく前だが、その後本屋で2シーターの本を買った。プジョーもいいな。宝くじがあたればメルセデスもいいな。ポルシェ。マツダのロードスターも悪くないなと夢とも現実ともいえない車の写真を眺めつつ帰宅した。その日まるでどこかで誰かが言いつけたかのようにカミさんから告知があった。何と5ヶ月である。一夜にして事態は豹変し、興味の対象からしばらく2シータースポーツカーは抹消され。かつガブリオレも遠のいていくのを感じたのであった。
2002年5月24日