野宿考
野宿とは野の宿である。魅力ある単語だ。キャンプ・ビバークと言った外来語よりもやはり日本語で野宿!と言った方が男らしいではナイカ!
あくまでもカタカナの単語してとらえるとキャンプというのは大勢で行うイメージがある。そして手段というよりは目的に近いイメージがある。あくまでも私がそう感じるだけでこういう定義があるわけではない。
変わってビバークという響きからは、登山という目的の途中の宿泊手段としての響きがある。バイクのツーリングで言えば、例えば走りの目的のために宿泊する場合などを連想する。ラリーレイド中のキャンプも言葉のイメージとしてはビバークに近い。実際にはパリダカールなどのラリーではキャンプ地は大きなテントにセルフ式のレストランが登場したかのような大きさで、最後はコーヒーまで飲める。ワークスチームはさながら整備工場のようだし、やはりあれはキャンプ地だろう。ちなみにパリダカールラリーでは弱小プライベートチームで参加すると大変である。ワークスチームのエアメカたちは専用機等で先にキャンプ地に到着していて陣地を押さえてある。日本の花見の陣取り合戦の比ではない。ペグとテープできっちり広大で便利な場所を確保し、各チームは夜間でも場所が認識できるようにそれぞれ旗を立てて照明まである。
遅く到着するプライベートチームは本部から遠く離れた場所となる。キャンプ地の多くはアフリカの小さな飛行場だが、当然路面はガタガタで、そこをパリダカ工程分の着替えやテント・寝袋等の全てを入れた袋を担いで移動する。非常に重い。到着すると飛行場の果てらしく現地の軍隊が警護する敷地のネット越しによく見ると光るものが見える。それは現地のアフリカ人の目が光っている。
油断すると特別悪意はなく遠慮なくテントごと持って行く。中には人が寝ていてもひこずりながら持っていく。油断は禁物だ。
これがパリダカで言うキャンプ地である。
一方ビバークはエントラント(競技車両)が何らかの理由でその日の目的地・ゴールまでたどり着けなかった場合の野宿を指す。やむを得ず最低限の装備で屋外で眠る場合だろう。
ビバーク感覚も悪くない。簡単なストーブで湯を沸かして食べるだけのレトルトやカップラーメンですますような夜だ。ビバークはたとえばレースの前日や山登りの途中などやむなく野宿するようなシーンでの意味合いが強いと思う。
あらゆる食品のラベルさえなにも信用できない時代だから今さらカップラーメンにどんなものを使用しているのか、まともな想像力があれば想像にたやすい。ただ私も年間を通して一度も食べないような人種ではないので、もしろ食べるならば普段の日常生活ではなくこういうビバークの時にこそ有効なアイテムだと思う。もしろキャンプの時だけまともな食材で丹念に調理して、普段は毎日がカップラーメンの日々というのは本末転倒ではないだろうか。
4輪でのキャンプはまさにオートキャンプだ。積載量から無理なく快適な装備を積むことができる。資金に余裕があればガス台から流し台まで普段の生活よりも贅沢なキッチンが出現することだって考えられるのである。
2輪でのキャンプは、かつてオフロードバイクで林道ツーリングに頻繁に行っていた時代は積載能力の低さから自然とテントもシェラフも必要最低限のコンパクトミニマム装備だった。自転車で佐渡を回った時は全て背負わなければならない状況のため極限まで荷物を減らした。重いから。これらのキャンプはビバークに近い。
ハーレーでのキャンプは自転車やオフロードバイクに較べれば圧倒的に積載能力はありパワー的にも余力がある。オートキャンプとビバークの中間的な野宿と呼べるだろう。
野宿の道具はあればあるほど快適に思えるが、実際にはそれぞれ快適になればなるほど荷物の量は増え、設置時間や後かたづけにかかる時間が必要となる。
快適度と楽しさが必ずしもイコールではないところが、俗に言う不便を楽しみに行くという言葉に置き換わるのかもしれない。
人数考
野宿の人数についてだが、理想はソロが好きだ。1人である。普段から会社・家族や親戚その他大勢の社会の中で生きている。せめてキャンプの時はソロがいいと思う。理想だ。
メリットはいろいろある。まずいろんな人との出会いがある。ソロツーリングに出かけた事がある人ならわかると思うが、基本的に人間は寂しがり屋なのか必ずと言っていいほどどこかで誰かが話しかけてくる。思いがけない場所で思いがけない人と出会い野宿して焚き火を前に数時間も話しをしているとまるで古くからの友人ではないかと錯覚するほど意外性が楽しい。
経験上いままで集団ツーリング中に誰かが話しかけてきたり出会ったりすることはほとんどない。またキャンプ場ではいろんな人が現地のおししい食材をおすそわけ(大量に作りすぎて余っている場合も多いが)してもらえることもある。
ソロの次は2人だが、経験上2人のツーリングを長時間続けるとお互いの違いの差が我慢できなくなることもある。男同士なら七人の侍・あるいは荒野の7人ではないが、7人前後がいいと思う。
理由はひとつの焚き火を囲い、ひとつのナベを中心に語らうのに最適だからだ。あとはもうおもいきり大勢というのも楽しい。これは全国各地のミーティング等だ。
ソロの話しに戻るが、寂しがりやソロツーリングなんてほとんど出たことがないという方にはソロツーリングの楽しさを是非堪能してほしい。
夜が寂しくないかって?心配無用。よほど人里離れた場所でないかぎり、特にキャンプ場では1人になりたくても、誰かしら寄ってくるものである。
道具考
初めてのツーリングでは装備もなくいきなり北海道で現地調達で寝袋で寝たり、出会ったキャンパーが使うEPIガスに見とれた。やがて毎年北海道ツーリングに出かける度に、キャンプの装備は充実しコッヘル等も増えた。
めんどくさがりの私はカレーを食べたシェラカップでかるくゆすいだだけでコーヒーを飲んだりしているうちに、コップはいらないなあーと思うようになった。ラーメンを作ると言っても雨の日用にチキンラーメンをシェラカップの中で砕いて作り(というより単にふやけるだけだが)コッヘルで必要なのは小さなトランギアのコッヘルさえあればご飯が炊けることに気がついたのである。やがて増え続けた道具はほとんど置いていくようになり一時期はランランさえも置いてヘッドランプとシェラカップ、コッヘルと水筒。ナイフとフォークがついたそれぞれ外れるナイフセット。それにビニール袋に入れた米というシンプルな装備となった。テントは1.4キロのゴアライトにコンパクトな寝袋である。
ハーレーに乗るようになってまた物欲魔が顔を出したりもするが基本的にはシンプルでミニマムな装備が時間と豊かな時を生み出す野宿の条件だと思う。
時々キャンプ場などでクルマでやってきたオートキャンパーからまるで住宅展示場かどこかのイベント会場のように大型キッチンやリビング、寝室までまたテーブルから3ヶのランタン。大小さまざまな皿や椅子。設営と撤去に至るまで実に端でみていた大変そうなキャンパーを見かけるがあれで楽しいのだろうか。ものぐさな私にはとても耐えられないといつも見て思っていた。
私は今のジムニーを買う前にランドクルーザーに乗っていたが、キャンプ場をわざわざ4駆で速度を上げて土煙をたてて走る輩を見て愕然としたことがある。あんなバカがいるおかげできっと私のランクルも同様な目で見られるであろう事を嘆いた。
反対にとてもスマートに感じたキャンパーはアコードとか普通の乗用車で来た手慣れたファミリーだった。
家族が手分けして小気味よくあっという間にテントやタープが設営されてさらにキッチンや椅子やテーブルがあの人数とその乗用車にどうやって積んでいたのかと手品かと思えるほどであった。うーん素晴らしい。
意味無く走り回っていた大型4駆とは雲泥の差である。大型4駆に大量の荷物を収納するのに知恵はない。小型の乗用車にいろんな道具を積み込むから知恵が必要になる。他人の知恵の成果を見るのは楽しい。
道具とは単に増やすだけでなく、知恵を使い、ミニマムに収納したり改造したりするところに楽しみがある。100円ショップ等で安くその代用品が見つかるとうれしさ倍増間違いなしである。
アウトドアの道具は物欲心をくすぐられる。よほど鍛錬を積まないとこの欲望を抑えるのは難しい。そして一つの法則がある。山あり谷ありである。最初は少なかった装備もどんどん増えて便利になる。だがある一定が集まると今度はどんどん最低限必要な装備にそぎ落としたくなり、シンプル装備になった頃、迂闊にもビーパルなんかをコンビニで立ち読みしてしまうとまたモノが増えてしまう恐れがあるのだ。
個人的に生涯にわたり絶対に買わない!と今から15年ほど前に宣言したアウトドアの道具がある。これはアウトドアの装備を構成する上で非常に重要なファクターだ。掟と言ってもいい。
それはコールマンの2バーナーである。理由は書くと長くなるので割愛するが、簡単にいえばこれを買ったが最後、怒濤の五徳(如く)次から次へと装備がオートキャンパー化しそうな気配を感じ取ったからである。金額的には今やかなり安くなり夏場のホームセンターでは格安で購入できるのだが。
誤解がないように言っておくがアンチコールマンファンというわけではない。今でもコールマン400Aは愛用している。コールマンは好きである。
装備過剰に陥らないための最後の砦である。
野宿といえば私が高校生の頃から買っていたバイク雑誌に執筆されている寺崎さんという方がいる。最近では2輪のみならず4駆雑誌やジムニー雑誌にも記事を連載されている。この寺崎さんの場合は強烈にチープ&実用主義である。
おそらくこの部分が強烈なのをウリにしていると思う。読んでいて感心するほど実用的だ。
たとえばナイフである。通常はスイスアーミーだの、バックのフォールディングナイフだのをアウトドア雑誌等に影響されて買い挙げ句の果てに、どこそこのだれべえ作とかのカスタムナイフに走り、鹿の柄にATS34鋼材がどうとかこうとか・・という傾向に陥りやすいが、この方の場合はなんと文具のカッターナイフである。切れ味抜群だし切れ味が落ちると折る。
たしかに釘を切断できるようなナイフを持っていても実際のキャンプではせいぜいウインナーの袋を開封したりする程度だ。ここぞとばかりに缶詰をナイフで開けても缶の裏にはプルトップがついていたりする。
さらに肉を切る時は寺崎さんの場合、はさみだ。確かにまな板もいらず直接コッヘルに肉や野菜を入れていくことができる。
物教徒
とまあ寺崎さんは実用方向に徹底しているので読んでいて小気味いいのだが、じゃあ私も実用性に徹して・・・とまではいかないところが複雑なところだ。多くの人もそうであろう。すでにランタンを持っているのにこちらの方が雰囲気がいいとか、あるいはタープを張った時の美しさはmossだぜ!とか思うのである。
ブルーシートとmossのタープは究極的な選択で、楽しさはどちらもある。実用性とコストの安さではブルーシートだし、自己満足度や美学ではmossとなる。
雨をしのぐことにおいては同じなのだが・・。
カッターナイフの方が実用的なのはわかっていても、やはりシースナイフかなんかで肉を切った方が絵的(過去のコラム参照)に、らしい雰囲気となるのである。
まあこれは世の中すべてのモノにいえることで、極論を言えば車もバイクも世の中にこんなにたくさん種類は必要ないわけで、家も服も実用面からいえばサイズ違いで数種類でOKだ。
実用的あるいは机上の論理的には人が皆同じ服を着て、車も一種類。だがそれではつまらないというのは人間が持つ虚栄心や見栄、好み、飽きなどを考慮しなかったせいだと思う。結果は20世紀後半の歴史をみればおわかりの通り。
人間って難しい生き物デスネ!と、近代世界史を振り返りつつ自分の物欲魔を誤魔化しているように感じたらその通りかもね!。・・こうしてまた新しい車やカメラ、道具に振り回されて楽しく生きていくのであった。
追伸:いい加減このあたりで、モノに振り回され、モノに毒されたモノ中心の生活から脱出し、人間本来のシンプルな生活に回帰しよう。欲しくもない情報に振り回され踊らされるのはやめにしよう。ケータイを捨てパソコンの線を切断しバイクに乗って旅に出よう!・・・と書ければ非常にいさぎよいのだが・・私もあなたも、物教徒(注1)なのでそれはできないことを知っている。物教徒はモノを崇拝し、108の物欲と自己とを見極め日々修行に邁進するのだ。
(1) 物教徒・・・ID(インダストリアルデザイン)界の第一人者である。榮久庵憲司さんが述べていた言葉。 但し単語の表現として面白い表現だったので使用していますが、榮久庵氏はもっと深い意味でこの単語を説明されていると思います。私の上記本文とは何の関係もありませんので念のため。こちらの本物を知りたい方は多くの著書がありますのでネット検索してみてください。
2002年5月17日