諸刃の剣
インターネットは検索によって瞬時に莫大な情報から目的の情報を探し出すことができる魔法の剣だ。
またインターネットがなければ到底知り合う事ができなかったような同好の士と知り合うこともできる。
反面、思わぬ罠や犯罪が待ちかまえていたりもするのは昨今のニュースを見れば明らかだ。インターネットは諸刃の剣である。
インターネットを利用し、且つ弱小ながら個人ホームページを運営していて時々考えることがある。
テレビ番組でもよくある、こっそりとあなただけに教えます。穴場温泉。秘湯。あるいは知られざる有名蕎麦名人のお店とかの類だ。公共のテレビ電波で放映しながら、今さらこっそりも秘密もあったもんではないと思うが、こういうタイトルに人間は弱い。
他人がまだ知らず、こんなにいい場所、こんなにおいしい店を知っている優越感。教えてあげた人の喜ぶ顔。かつては雑誌やテレビというメディアか、あるいは友人からの口コミでしかなかったこの丸秘情報の類もインターネットの普及で、あらゆるジャンルで得られるようになってきた。
これらの情報発信は、発信冥利に尽きるというプラス面もある反面、その逆に、あのまま知る人ぞ知る穴場のままの方がよかったのではナイカ?と後悔することもある。
だが最近それも杞憂にすぎないというか、無駄な心配であったことを知る。栃木在住時代に地元の人ならではが知る温泉情報はそっと心の内にしまっておいたのだが、わずかここ3年の間に、インターネットをはじめ、テレビや雑誌にも紹介されてしまうことになったのである。結局自分一人が黙っていても、有名になる温泉やお店は、はじめからその魅力(ロケーションであったり、価格の安さであったり、うまさ等)においてそういう運命なのだと感じるようになった。
これはデビューしたての女優やアイドルを、まだ無名の頃に見つけてファンになってしまう心境に近いものだと思う。はじめの頃は、周囲もだれもしらなくて、この人は将来きっとスターになる!と思い応援する。やがてどんどん有名になってしまうとうれしい反面複雑な心境になる。私はこの人が無名の頃からファンだったのに・・。と。だがスターになる人ははじめからスターになるべくしてスターになるのだ。容姿や歌唱力、演技力。なんらかの人を強く引きつけるだけの才能があればやがて有名になってしまう。
少し強引な比喩だが、有名店や有名な温泉は、そういう運命にあるのかもしれないと思う。スターもいい気になって演技力や歌の内容が低下する場合もあるし、原点を見失わず継続すれば根強いファンができる。商売に言い換えれば、流行り出したからと言って急に価格を上げたり量を減らしたり、何らかの手抜きを行えばファンには見抜かれてしまうところも似ている気がする。
ここだけの話し
よく「ここだけの話しだけど・・」という話しほど、あちこちへ広がっていたりする。皮肉な事である。が、よく考えれば当然のこととも言える。なぜならすでに当然知っているような情報。たとえば富士山は美しい。とかディズニーランドは楽しいよ。と誰かに教えてあげても、聴いた方はなにを今さら?と思うだろう。自分も知らなくてある種の裏情報的な香りが漂えば漂うほど、その情報は価値あるように思えて、さらに別のだれかに伝えたくなるからだ。インターネットはこういう伝達のツールなので当然、だれでも知っているような情報よりもここだけの話し的な情報がいち早く伝わる。秘湯情報ほどどのサイトを見てもきちんと掲載されているのは発信する側もあるいは観る側もそれらに重きを置いているからに他ならない。
情報のリサイクルと矛盾
心理的にここだけの話は、広く伝えたい反面、身内だけのこっそり情報にしましょうという心理が働く。ネットでそれを実行しようとする場合、会員制にして完全にクローズドにするか、あるいは非公開にするしかない。だが非公開にした時点でその情報は、その限定した範囲内でしか生きることができない情報となってしまう。これはどういことになるかといえば、人間1人が得ることができる情報なんかたかが知れていて、そこのメンバー内での情報のみとなってしまう。
すごい蕎麦好きの人が、ベンチで黙って座っていてもだれも蕎麦屋の情報は教えてくれないが、あちこちで街で人に話しかけていたり蕎麦の会話を蕎麦好きの友人と話をしていたら偶然通りかかりの人が教えてくれる事もある。事実、栃木のある蕎麦どころは偶然パーキングエリアで蕎麦の会話をしていたところ、見知らぬライダーが蕎麦の話しに反応して教えてくれた。黙っていたら相手も話しかけてはくれなかっただろう。
これと同じ事はインターネットの情報発信も同じで、興味の対象、あるいは自分が知り得た情報を発信すればするほど、大勢の中からそれに関する思わぬ情報を返してくれたりする。とにかく不特定多数の人が大勢みていてくれればその中から必ずそれにふさわしいピッタリの人がとっておきの情報をキャッチボールのように返してくれることもあるから楽しい。
これこそがインターネットがインタラクティブであり、そのインタラクティブの醍醐味と呼べる点ではないかと思う。
気をつけなればならないのは、相手は自動返答ロボットではない。人間である。そして応える義務もない。あくまでも善意や楽しみで応えてくれたり教えてくれたりする。街で道を尋ねる時にぼっきらぼうに質問したりしても誰も答えてくれないだろう。またいきなり挨拶もなく尋ねても答える気がしない。ましてやヘルメットやサングラスをかけたまま尋ねても気味悪がられて答えてくれない。あるいはせっかく教えてあげても礼の言葉もなく立ち去れば何という無礼な人間かと思うだろう。ネット社会も社会と名がつく以上、その社会性を常に考慮すべきだと考える。
2002年5月14日