今さらだがかってのNHK大ヒット連続朝ドラマ「おしん」をビデオで全巻見終えた。当時観ていた方には今さら説明するまでもないだろう。驚くべき事に今から約20年も前のドラマである。つい最近の放映だったような気もするが、それだけ自分がおっさんになってしまったという事か・・。
当時リアルタイムで観ていなかったし、わたしの中では「おしん」は、明治生まれの女性のつらく大変な人生ストーリーであるという程度の認識であった。
それなのに何でまた「おしん」を、観るようになったのか?
答えは簡単である。昨年の秋に蕎麦ツーリングで、山形の銀山温泉と酒田を回ったからである。期せずして銀山温泉と日本海の町酒田は、「おしん」の中でもストーリー上、重要な役割を果たしている。波瀾万丈のおしんの人生を描いた長いドラマはその後、海外でも爆発的なブームとなったそうだ。
おしんが教えてくれたものは時代を超えて、様々な教訓を教えてくれる。
わずか80年ほど前(現時点では100年前)の日本人のまずしい生活。
洗濯機もなかった冬場の川での洗濯。
白米を食べることのありがたさ。
夜に電気がはじめて灯る感激。
姑には口答えさえ許されなかった時代。
家の存続の為には本人の幸せも犠牲に。
そして戦争という過った過去。
国と家族のために戦うという大義名分。
日露戦争の脱走兵「しゅんさくあんちゃん」に戦争はだめだ。1人でも反対しなければならないと教えられていたのに反対しなかったために太平洋戦争で最愛の子供と失うおしん。
戦争への道が正しい事だと主張してきた信念をそのまま自決というカタチで終止符を打ったおしんの夫。
戦後はふたたび0からの出発。
助け合う知人。
見放す兄弟。
リアカーからくるまに。
がむしゃらに働きつづけるおしん。
やがて田之倉スーパーの成長。
おしんの制止を聞かず並木の家にかつての恩義を仇を返すかのように17号店の大型店を出店。
だが開店後、さらに桁違いの大型百貨店が出店計画。
おしんの田之倉スーパーは経営危機に陥る。
経済至上主義に走りすぎてしまう事への危惧や、やがてさらに新しい大手にやられてしまう成り行きを見事に表現している。
まるでその後の大手百貨店や大型スーパーの将来を示唆するかのような物語にいまさらながら驚きと感動を覚えた。
相変わらず日本は不景気なニュースばかりだが、こんな時代だからこそ「おしん」を再放送すべきだと思う。
貧しいと言っても飢え死にしたりするわけでもなく・・。
姑戦争といってもおしんの時代に較べれば、たかがしれているはずだ。
「おしん」のドラマでも、度々家族が、
「時代が違うの!」というセリフが出てくる。
私も含めて多くの現代人がすぐ口に出す「時代が違う」は、確かにそうだと思う。だが安易に使う前にもういちど、時代が違うという言葉だけで簡単に片づけていいのか?ということを「おしん」はドラマの中で問いかけてくれるはずだ。
ドラマ「おしん」の中には、不変の真実を垣間見ることができる。
今さら「おしん」ではなく、今だからこそ「おしん」なのだ。
今はあの世に逝ってしまった祖母。幼い頃はおしん同様に奉公に出たという。そんな祖母が20年前におしんを観ながら言ったセリフは
「あんなに生やさしい苦労ではなかった・・」と。
2002年4月26日