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無駄な記憶 私は記憶力が非常に悪い。 覚えようとしても覚えることができない。 特に原理のわからない法則や公式。 年号などの丸暗記は大の苦手である。 この時点でおわかりだと思うが共通一次試験などという不運な受験戦争期に育った私としてはバカの烙印を押されて生きてきた。 日本の試験システムにはとうてい不向きな品種として生まれ育った。 そのかわりに頭の回転は速く・・・といいたいところだが、これまた最悪でかんたんな足し算。引き算ですらつい指をつかってしまうほどであった。 じゃあ、なにができたかといえば、テストとは関係ない数字をうめてさっさと裏返した答案用紙に自分の理想の家とか間取りとか、あるいは車の絵などを描きうっかり消し忘れてその絵を誉められたことだろうか。 さらに、レタリングがウマイとクラスのみんなに巧みにおだてられながら、中学時代は当時大枚をはたいて買ったドイツ製のロットリングでクラスの名札を書いてあげた程度の利点だ。 話はそれるが、ロットリングとはドイツ語で赤い輪を意味するドイツの文具・製図用品メーカーだ。 これで書かれた線は、カーボンブラックのほんとうの黒!と呼ぶにふさわしい黒色でそのペンさせあればどんな絵でも描けそうであった。 マックさえあればその日からデザイナーになれるような錯覚と同種の覚醒作用のある魅惑のペンであった。 当時倉敷にあった中国画材という画材屋に中学生が毎日のようにロットリングをウインドウ越しに眺めに行っていた少年は私だ。 シルクスクリーン工房スタジオ2B(ふたりのバカという意味だったらしい)という聖徳太子のTシャツ姿を絵にしたTシャツなどを制作していた従兄弟の影響でデザインという道に進んだのもこの時期がどうも影響している。フランスのボザールでも油絵を学んでいたこの従兄弟から私は、あらゆる影響を受けたが、ライカと並んで、ロットリングもそのひとつだ。 当時リキテックスというアクリル絵の具が世に出てきた時代で、その従兄弟のアトリエに行くと油絵の臭いやリキテックスのジェッソの黄色い瓶、あるいはステッドラーの消しゴムや丸ペンなどが描かれた絵と同様に宝箱のようであった。 念願かなってやっと買ったロットリングであるが、これが子供には手に負えない代物で、とにかくすぐインクが乾いて目が詰まる。 特に0.1mmや0.15mmの細いペンはよく目が詰まって、手入れの為にニードルを引き抜くともう2度と元には戻らないという悲劇な道具であった。 さて、うれしくてこのペンを入手した休日になにを思ったか私はケントボード紙にロットリングで突如、姫路城を書いた記憶がある。なぜに姫路城を書きたくなったのか不明だが、食事に出かけるぞ!という家族の号令も無視して無心に姫路城の瓦をいちまあーい。にまあーい・・と書いた。 やがて姫路城は完成した。絵がウマイとか下手とかいう話しではなくどちらかといえばドミノ倒しをよくぞここまで並べたぞ!的な評価だった。 その後、描くものを探しているときに、私は自分の名札を明朝体でそのロットリングで描くことにした。 まだ1970年代は、フォントという言葉よりもレタリングという言葉が主流で、いわゆるきれいな活字は、印刷物もしくは職人芸なレタリングのいずれかであった。デザインの仕事をしていた親戚はレトラセットやインスタントレタリング(通称インレタあるいはイント)とデザインナイフだったし、TOOもまだいずみやだった頃である。 ステッドラーの鉛筆やトレペ(トイレットペーパーじゃないよトレーシングペーパーね)を駆使してさらにロットリングで清書された清刷のような名札はさすがに目立ったらしくその後、その名札を見て依頼者が殺到して多くの人の名札を書いたらしい。 らしいというのは、5人ほどに書いた記憶があったのだが、実はどうやらそんな生やさしい数ではなかったようだ。(笑) というのも同窓会などに顔を出して酒を飲みながら親しくなかった女性に、「はじめまして」などと声をかけると、私は中学校の時に名札を書いていただきました。などと返事が多く。あまりの多さに自分で呆れている。しかもかわいい女性にしか書いていなかったようでヒドイ話だ。いやはや下心の固まりであった。はっはっは。 しかし今から思えばひたすら人の喜ぶ顔みたさに、せっせとそんな銭にもならない仕事を勉強そっちのけでやっていたあたりは今のホームページ作成やBBSの管理にも似たものを感じる。 おっと!思わぬ方向へ話がそれたが、再び記憶力の話しへ戻ろう。 記憶力は悪い私だが、試験の答えとなるような勉強は記憶できないが、覚えなくていいような出来事や実にくだらない事は不思議と脳裏に焼き付くのである。 そんなこと覚えてどうする!みたいな話しを子供ながらに親にして度々親を驚かせた。きっとそういった親の反応がより私を 「くだらないことに限って記憶します!」 という人間に向かわせたのだと思う。 その最たるエピソードは私が赤ん坊だった頃に1人でほ乳瓶のミルクを飲んでいる時のミルクの面の減り具合だとか、飲み終えた際に自分の頭の上に転がした話しとかを覚えている記憶だ。 これはきっと少し大きくなった際に親から聞いた話を自分の体験として勘違いしたのだろうと思うかもしれない。 ならばもうひとつ話がある。それは幼稚園の時の女の先生のパンツの色だ。 幼稚園児の時は、眠くもないのに半ば強制的に昼寝を強いられた。 大歓迎だが、幼稚園児の私には苦痛以外のなにものでもなく、はやくこの昼寝時間が過ぎ去ることを心の底から願っていた。目をつむっていると寝なさい!と怒られるのでとりあえず寝たフリをしていると、 若いアイコ先生(仮称)がカーテンを締めにやってくる。 この時薄目をあけて幼稚園児の悪友とどんなパンツの色だったかを話したりしたはずなのだ。 男はすでに幼稚園児からスカートまくりをしたりするが、やはりオスとしての本能的な行動だろうか。 それとも「やってはいけません」ということをやりたくなるという子供の習性なのかはわからないが、はっきり記憶しているのは一度幼稚園のクラスで女の子のパンツのゴムが切れて泣いているという状況の時になぜか幼稚園児男子がまわりを囲んでいて唾をごくりと飲み込んで、どうしてそういう時にあそこが硬くなるのか不思議だというのをその時大勢でわいわい話したというとんでもない強烈な思い出があるのだ。 しかしだ!あろうことかその時のメンバーに中学生になってその時の話しをしても、誰1人その時の幼なじみはその事件を覚えていなくて愕然とした記憶がある。 高級な勉強や法律ではなく要は日用雑貨や大衆車的記憶なのだ。
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