屋上

 時々ニュースで流れる老舗百貨店の閉店。栄枯盛衰、時の流れといってしまえばそれまでだが、月日の流れと変化を目の前につきつけられたような哀愁と悲しさを感じる。
 私が生まれた昭和40年代でもまだ百貨店の存在はあらゆる分野で花形の場所だったはずだ。家族で買い物に出かける楽しい場所。それが百貨店だった。
 私は倉敷という小さな地方都市の中心部に近い商店街の中に生まれ育った。まだ駅前には三越はなく、天満屋という地方の百貨店が唯一の百貨店であった。数ヶ月に1度だろうか?年に何回か特別な日に家族と行くことが楽しみな場所だった。さらに年に何度かは、規模的にはワンランク上の売り場面積を持つ隣町の岡山市にある天満屋へ出かけた記憶もある。
 当時、エレベーターはもちろんエスカレーターの付近にも人がいたような気がする。エレベーターガールならぬエスカレーターガールだろうか。余談だが私が幼き頃、例に漏れず迷子になった。だがなんと私はエスカレーターの女性に迷いながらも親の服装の特長を伝えて店内アナウンスをしてもらったそうだ。直接記憶はないが繰り返し聞かされた幼少期の武勇伝?として覚えている。
 さて百貨店を下から順に上の階へ。子供にとっては退屈で仕方がない婦人服売り場の時間。この時間を耐え難きに耐えるとやっとおもちゃ売り場に上がる。そして食事は、食堂だ。チケット売り場で券を購入し、ウェイターが料理を運ぶと半券を持って行く。幼き私はランチプレートの上に乗った日の丸の小さな旗と、オマケという子供をだます常套手段的メニューに、まんまとはめられ、それを選んでいたはずだ。
 最後は屋上へ。百貨店の屋上といえばレールを走る新幹線や、クラッシックカー、そして 右足を踏むと充電されたバッテリーでうごく小さな電気自動車とそれはもう乗り物好きな私にとっては楽園のようであった。
 定位置で上下に動くだけの電車やクルマにはさほど興味はなかったが親の勧めるままに座っていた気がする。当時子供だった私でも内心いったいなんなのだ?!と思っていたのかもしれない。ディズニーランドやテーマパークがなかった時代においては唯一のエンターテーメントだったのだろう。
 他の売り場にくらべてもっともかつての華やかな時代から枯れた場所になったところはほとんどの百貨店においてこの屋上だ。
 見知らぬ街の古びた百貨店。人気のないエスカレーター。無性に屋上まで昇りたくなる。屋上にたどり着くと、はるか以前に取り除かれたで痕跡が残る屋上をぐるりと回る新幹線のレールだけが悲しく残っていた。かつては賑わったはずの場所に人気がなくなり関心からも消滅した場所。こんな場所に私は単なるノスタルジーだけではない不思議な魅力を感じる。
 
ふらりと立ち寄った旅先で見知らぬ百貨店を見つけたなら私は百貨店の屋上に昇りそこからの風景を眺めてみたい。
2002年2月

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