「母なる川、最上川ツーリング編」 
たきみ館で再びかいもづ他、おいしい朝食を食べて出発。やはり朝といえば朝食だろう。朝飯ヌキでも平気な人も多い昨今だが、私の場合朝を抜くとフラフラする。がっちりと山形の庄内米を腹に収めて宿を出る。
宿からハーレーの置いてある場所までクルマで送ってもらう。とても4輪車が走れるとは思えない場所を宿のご主人は巧みに運転する。軽の車幅ギリギリのラインは物理的にそれ以上の大きさは通行不能だ。軽自動車バンザイと私は心の中で喜ぶ。ちなみに私が乗っている旧ジムニーJA11はハンドルの切れ角の影響とタイヤの関係で同じラインをトレースすることが困難かもしれない。
ハーレーを置いてある場所に戻ると、予想通りというか予想以上の露でビッショリだ。タオルで拭き取り絞る。急坂をじっくりゆっくり両手両足に力をこめて慎重に重いロードキングをバックさせる。
エンジンを始動させるといつものように鼓動が蘇る。4台のハーレーで山形の田舎道を走る。ツーリングの中ではこの田舎道をゆっくりと走る喜びは、やはりハーレーでよかったと思える時だ。
今日のルートは、山形県の母なる川「最上川」の流れに沿って走る。アメリカのルート66がマザーロードならば、山形版マザーリバーの旅である。最上川は山形県にはじまり山形県に終わる川でしかも主要な街や村を抜けるまさに母なる川だ。国道13号線を北進し、途中で川の流れに沿うように国道47号線を西に進む。穏やかな風景と静かに晴れた青空の下を4台のハーレーが走る。途中最上川の川下りポイントで休憩。民謡が流れていた。いまでは路線バスが走っておるので、クルマを停めた場所までバスで戻ってくる事が可能だそうだ。
観光地らしく土産物コーナーがある。ロードキングに乗るまではツーリング途中に何を買っても積んで帰るまでの途中で原型をとどめない土産(笑)という苦い経験に基づきあまりなにかを買った記憶はなしが、やはり左右の巨大な箱の恩恵か、最近では割と土産モノを買うことも可能になった。この場所では塩を買う。塩を買う特別な理由はないが素朴なパッケージの庄内産の塩に惹かれたからだ。
ひたすら川沿いに走る。川沿いの道は川を横切る橋でもない限り、おおきな道と道の交差点がない。川沿いの道は川に沿って複雑な曲率を描きながら進んでいく。
今はコンクリートで固められて変化することのない川の流れ。その昔この曲率に至った経緯などを想像しながら走るのも悪くない。下流に向かうにつれて刻々と変化する川面。一時期カヌーの旅に憧れた事もある。 とある会場で偶然憧れた著名カヌーイストの野田さんにお会いし、サインしてもらう紙を探したが手元に紙はなくとりあえず握手してもらった時の握手の強烈な力に、ああこれがカヌーイストの証だなと思えるほど力強かったのを覚えている。
最上川にそってさらに西進し、やがて庄内平野に出た。庄内米で有名な平野だ。風がとても強い。おおきな風車が回っている。2000年にシルクロードを北京Jeepで走った時に見た風景とどことなく似ている。風車が回り、道沿いには延々と防風柵が作られていた。庄内平野独特の風景なのか、今までみたことがない印象だ。新潟の風景とも似ているが少し違う。海が近い独特の雰囲気を感じながら酒田市へ入った。
酒田市では土門拳記念館に立ち寄る。今までツーリング先でこの手の記念館や美術館に立ち寄る機会はなかなかなかったが、突然1340ccの鼓動を感じる「動」から写真館の「静」なる時間へトリップするのもわるくない経験であった。土門拳は以前の勤務先の最初の上司がやはり写真好きで京都で古寺巡礼中の車椅子姿の土門拳氏を目撃したことがある。という会話から当時私も土門拳氏の写真随筆なる著書を買ったり写真集を観たりしたが写真そのものを観たのは初めてであった。「写真は肉眼を越える」の言葉通り、土門拳の写真の中にある仏像、風景からは私の稚拙な文章力では表現できないほどの凄みのある迫力とパワーを感じた。
大判のフィルムに大口径のレンズを通してまるで土門拳の魂までも焼き付けているかのようなその銀塩世界にはデジタル社会を鼻で笑うかの如く圧倒的な差を放っていたのであった。
「これからは便利なデジカメよ 」と最近のたまう私であったが、ツーリング後にライカを久々に取り出して「やっぱり写真は銀塩フィルムで撮るんです」と、静かに反省したのであった。

土門拳の愛用したニコンSP
土門拳記念館を後にして遅い昼飯を食べた。情報不足のまま通りがかりの蕎麦屋に入る。近所にあれば行きたくなるレベルの蕎麦屋かもしれないが、このそば通リング中に食した蕎麦としては甚だパワー不足だと私は感じたので割愛したい。
この蕎麦屋を出てからは延々と走り続けた。山形自動車道酒田ICから高速に乗る。延々と走っていると途中左手前方遙か彼方に霊峰月山が見えてきた。山の姿は距離に応じて変化する。そびえる山の美しさは至近距離で観るよりも遙か彼方にそびえる山の姿が好きだ。もちろん近づくと迫力が出るが人を寄せ付けないような霊峰月山。遙か彼方に白く雪をたくわえて悠然とそびえていた。いまだにカミさんは私が富士山山頂に登ったことがあるというのを信じてくれない(笑)今の体型では想像に難しいのであろう。4月の雪深い尾瀬燧ケ岳への登山や日光戦場ヶ原への職場の仲間たちとのクロスカントリー写真を見せても、合成写真をみるような目である。私はかつてナチュラリストだったのだ(笑)(エセがつくけど)
昔からよくある質問に、「山と海ではどっちが好き?」というのがあるが、昔からあの問いには疑問だ。そんなこと聞いていったいどうする!私はいつもどちらも好きだというと冷たい視線を浴びた。美人の女性とかわいい女性とどっちが好き?と聞かれるに等しい。何の話だっけ?そうそう霊峰月山の話だ。月山を左手に観ながら走り続けて山の表情の変化を楽しみながら走った。タイミングと走る予定だった有料道路が冬季閉鎖のため月山の写真を1枚も収めることができなかったけどむしろ脳裏のシャッターには深く刻みこまれた。
途中おおきな噴水(世界一の高さ?)があるという湖畔のパーキングに立ち寄って休憩した後やがて日は落ちた。
村山市を通過し碁点温泉に。碁点温泉という日帰り温泉入浴施設に入る。暖かい。寒さの中を走ってこそこの温泉のありがたみは倍増することをバイク乗りなら知っている。真冬でも車で温泉地を尋ねて入浴してもそもそも暖房が効いた部屋にいたも同然のためバイクの時と較べると温泉の魅力は半分、いや3分の1程度しか感じないのだ。
入浴の後は村山市の「ファーム・羊舎 (ひつじや)」へ。到着早々ジンギスカン料理である。

ハーレーエプロンまで持参していたくるま氏

うまい!
羊肉といえば臭い印象があるが、さすが本格的なジンギスカン料理店は違うのだ。旨い!ぜんぜん臭くない!はまった。鉄製のしっかりとした本格的な半円球のジンギスカン鍋には油が落ちるように幅も不深さも本格的な鍋だ。地酒も出てきて美酒に酔う。

ワイン通でもあるkita氏
元来酒には強くないのでこういう時に酒に強い男がうらやましいと感じる。店内は大きなテーブルがいくつかありお客さんも満員だ。本格的なログハウスだが、この建物はオーナーである西塚さんが独学と自力で立てた素晴らしいログハウスである。男なら自分の家を建てて・・という言葉があるが、文字通りほんとに自分で建ててしまったのだ。西塚さんはくるま氏が山形県在住時代にアウトドアの達人としてはもちろん男として師と仰いだ人物で、カヌーのインストラクターから山登り、スキーまでなんでも本格的というよりはプロ級にこなしてしまうまさにスーパーマンである。
羊舎は、宿泊施設ではないので寝袋持参で、くるま氏の友人ということでわれわれも宿泊させていただく。夜はやはり前日同様ハーレー談義に花が咲く。アルコールの入った4人は静かに語りながら2日目の夜は更けていった。
翌朝、目が覚めると霧が深い。天気はいいとの情報に期待が膨らむ。ツーリング先の雨は享受するしかないがやはり起床早々に雨の音を聞くのと快晴の中で太陽を拝むのとでは気持ちの高揚に大きな差がある。
朝早くからいい香りがする。ご飯の炊ける香りだ。ご飯好きなせいでご飯の香りにも敏感である。みそ汁とご飯と焼き魚。正統派日本の朝食をいただく。ご飯の旨さが格別だ。水も空気ももちろん米も普段私が口にしているものとは明らかに違う。素晴らしい。元気の素である朝食を食べて出発の準備。
外で準備をしていると西塚さんも出てきてハーレーを観ていた。すかさずくるま氏がロードキングに跨らせる。「こんな格好じゃあ似合わない 」と跨った西塚さんの顔はなんだかうれしそうだ。日本人離れした背丈の西塚さんにはロードキングの大きさとも釣り合っていた。
記念撮影後、お礼を述べて羊舎を後にした。広がる朝の牧草地にハーレーサウンドがよく似合う。走り出すと日はすっかり昇り快晴の天気だ。このまま休みが続くならばちょうど旅の気持ち、旅の心の暖気運転が終了した頃だが残念ながら今日で戻らなければならない。
ここは村山市。蕎麦通リングとして山形まで来ていてしかも今いる場所は村山市である。外せない蕎麦屋がある。あらきそばだ。初日にツーリング中に買った本の蕎麦屋「あらきそば」。
私はこのあらきそばを尋ねるのは前回の山形蕎麦通リング以来2年ぶりの2回目だ。前回と同じあらきそばの看板の下の駐車場スペースがタイミングよく空いたのでそこに一行の4台のハーレーを停車させる。
茅葺き屋根の建物に入る。ブーツを脱ぐ。いつもの事だが、おいしい空気とツーリングに適した道。風景。ご当地ならでは蕎麦屋めぐりとツーリングは相性がいいのだが、この毎回ブーツを脱ぐのがやや大変だ。76%以上の確立でうまい蕎麦屋は靴を脱いであがる蕎麦屋が多い。76%という数値は私のイメージなので根拠はないが(笑)番号で呼ばれたグループ順に席につく。あらき蕎麦のメニューにあるうす毛利と昔毛利だが、かつてはこの昔毛利を男ならばぺろりと食べたらしい。しかし現代の一般成人男子では量が多く残す人がでてきたのでうすく盛った「盛り」なのだが、うす盛りではなんだか心許ないので毛利と書く太古の日本の表現からこのようなメニューができたという。私のような蕎麦はいくらでも食べたいという人種からすれば実に嘆かわしい時代である。しかし実際に食べてみると太くてこしが強いのでなかなか食べ応えはある。素人はなめてはいけない。(笑)
このあらきそばも例によって顔の広いくるま氏は店主とお店の方々と親しげに再会をなつかしむ会話を山形弁で交わしていた。くるま氏は東京の生まれだが仕事の関係で数年間東根に在住経験がある。

待合いの間から見た厨房
さていよいよ山形そば通しめくくりのあらき蕎麦である。心して蕎麦に向かう。場所的なスペースの問題から本来ならば1人1枚の昔毛利を注文すべきところだが、座った位置と先客の関係から急遽4人の前に重ねて食べるというゲリラ戦略が用いられた。下図が当日の布陣図である。
まずくるま氏の右側は先客がいたため少しの空間を残している。私は本来なら不利な場所であるがやむなく南側に陣地を確保した。圧倒的な速度と戦闘能力を誇る武田騎馬隊いやもといくるま氏、そして底知れぬ物量を食べることができる私.この陣容では、蕎麦の処理速度、分量、パワーの点で圧倒的に勝る、くるま・Hitton両陣営に有利な布陣であった。ここでそば決戦に入る前に「にしん 」の事に触れておこう。オプションというかサイドメニューで「にしん 」を注文できる。初めてみるとおびえるほど黒光りした漆黒のにしんである。これを蕎麦の箸休めにちびちびと食べたりすると、そりゃああんた!もう至福の2乗モードである。いよいよ決戦だ。最初の昔毛利がつぎつぎと机の上に置かれる。
気が付くともう合戦ははじまっていて撮影どころではない様子だ。旨い。しかしくるま氏のスピードはすごい。私もペースを上げる。kita氏が目をパチパチさせながら食べているがスピード差が、くるま、私の両陣営とはまるで違う。がく氏はその中間的な立場だ。こんな激戦が繰り広げられていてもしっかり口の中は新蕎麦の香りが広がっている。恐るべしあらきそば。そうこうしている間にあっという間に4枚のむかし毛利はあっという間に終了し、くるま氏の口からは「追加しますか? 」の声。一同「えい!えい!おう!」などとは流石に叫んだりはしないが頷いてさらに2枚追加。本来ヨコに広がりを見せるはずの板そばがなぜか我々のテーブルだけは高く高くそびえていくのであった。
回転寿司のようであり、建築模型のようでもある。最後の1枚までペースを落とすことなく非常にも最後の1本の蕎麦まで遠慮なくきれいに食べたその電撃作戦はまるで勢いのある時代の蒙古軍かローマ軍のようである。
戦いが終わる頃kita氏の目には敗北感と「次回はやっぱり1人づつ注文しゆっくり味わって食べたい」という思いがあふれているような眼差しであった。そう蕎麦を食う時は情け容赦ない格闘技なのだ!(オイオイいつからじゃ!)
ふー一気に食べ終えるとさすがにお腹が苦しい。「食べるとき風の如し、食後は動かざる事山の如し。 」の私だが今からまたハーレーに跨り東京を超えて走らなければならない。お腹がパンパンである。食べ物はゆっくりとよく噛んで食べるのが大切とよくお医者さんは言う。そういえばくるま@医学博士は、ものすごい速度でいつも蕎麦を食べていたが、いいのだろうか?食事における正しいスピードの疑惑を残しつつも、一行はあらきそばをあとにしたのであった。(水戸黄門のエンディング風)
東根に入った。ここでは前回くるま氏がロードキングに10キロの米をおみやげにしていた思い出が強烈だったし、蕎麦同等に無類の米好きである私が密かに前回米を買わなかった事をひたすら後悔したため今回こそは新米を!と静かに心に決めていた。ガソリンスタンドとお米屋さんが一緒になった見覚えのある場所に入った。ガソリンを入れたあとおもむろに米販売コーナーに足を踏み入れた。お持ち帰りすることに意義を感じていたが聞けば送料300円で発送できるという。ではその方が・・と結局全員そこでお米を購入した。

ちなみにツーリング後さっそくお米は届き、すかさず炊いたら旨い。やはり食べ物は鮮度だと思う。ちなみにこの山形から米が届いた直後にさらなるおいしさを求めて炊飯ジャーもSANYO製の圧力釜・圧釜・IHジャー・丸釜構造という毎日の戦力に不足はないぜ!という炊飯ジャーを約12年ぶりに新調したのであった。家電製品の進化なんてこの10年程度ではさほど根本的に進化していないものが多いが、こと炊飯ジャーに関して言えばお米を炊くという日々の行為に対してかなりの技術革新がなされているのでは?とその炊飯ジャーで炊いた米を見て感じた。
ちなみにダッチオーブンと同様、分厚い鉄。多くの量。強い火力。鮮度のよいおいしい米。おいしい水。これらが揃えばさぞかしうまい米ができるだろうけど、通常の日常ではなかなか大量の米を炊くこともないので現実的には最新の炊飯ジャーの恩恵に授かることにしている。話がどんどんそれていくが、私はキャンプ場で米を炊くことに関しては相当に自信がある。かつて林道を走り回った時代にザックの中にある食料は米とふりかけ程度だったし、塩だけの事もあった。しかし景色のいい場所で炊きたてのご飯に少量の塩で食べる食事はこの世に究極的にこれよりないのではないか!?と叫びたくなるほど旨いと思う。仕方なくコンビニで買って食べるおにぎりとは似て非なる食品だ。
山形自動車道・東北自動車道を経由して家路につく。首都高速に乗る頃にはすっかり日も暮れてそば通メンバーと別れて家に無事到着した。事故もトラブルもなく晩秋の山形を堪能した小さな旅であった。
ツーリング後に山形の銀山温泉が登場するというNHKの大ヒットドラマ「おしん」をビデオで観た。まだいまの段階では最初の段階しか観ていないが、山形県においてはこの最上川がまさに母なる川であることが理解できた。昔の実際の生活、食べることがやっとだった時代。想像すらできない状況だが、亡くなった祖母の話では「おしん程度の苦労はごく普通のこと」だったらしくさらに「私の苦労だってこんなものではなかった」と笑っていたのを思い出す。ドラマの展開上でも山形県におけるこの最上川というのは重要なファクターとなっている。私は昭和41年生まれで、すでに日本という国は二桁成長という発展する世の中にあって食べ物に困ったという世代ではない。だが戦中に生まれた親の世代ではまだ白米をお腹いっぱいに食べるという事はとても夢のような生活で、お米はとても貴重で貴族出身のような裕福な家ではない限り半世紀ほど前の日本ではそれが当たり前だったと聞く。当然私が子供の頃は、ごはんつぶを残すなんて言語道断の行為だった。それが今や巷の飲食店に行き回りを見回すとどのテーブルもかなりのご飯を残して店を後にしている。ダイエットと称して残すぐらいならはじめから注文しなければいい。なのに今やあちこちで、このご飯を残すという行為が平気でまかり通るようになっている。きっとなにかが大きく間違っていてやがてそのツケは巡ってやってくる。世の中因果応報なのだ。エイズ、BSE世の中間違っているなあと感じつつも行っていることは必ずめぐりめぐって戻ってくるのだ食べ物を粗末に扱うとばちが当たるとおばあちゃんたちは言い続けてきた。老婆心から生まれた言葉の中に世の真理が隠されていると思う。本当に大切なものは案外身近なところにすべてあって気が付くのは失ってからということが多い。毎日食べているお米、お水、空気、家族、友達。おしんを観て山形蕎麦通リングを思い出した時に、いろいろな事すべてに感謝したい気持ちで胸がいっぱいになった。ありがとう日本の食!

山形から届いたお米で炊いたごはん!
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