この映画を初めてみたときはその未来のデザインに夢を感じ純粋に感動した。そして今年はその映画で描かれた2001年である。
残念ながら宇宙ステーションでの旅行はまだ実現しそうにもない。相変わらず車はタイヤ4輪で地上を走り、バイクも2輪で走っている。人々は変化を求めるどころか、むしろもうすぐ100周年を迎える伝統的なデザインのハーレーも基本の構成としてはほとんど変化していないがそのことがむしろ人気の原動力だったりする。そんな事を何気なく考えながら先日2001年のモーターショーに行ってきた。
会場に入ると、いつものようにSF映画に出てくるような近未来的なデザインの車が各社ならび、バイクのコンセプトマシンは、もうすぐ地上から浮いて走れそうな造形である。モーターショーという未来の夢を描くショーとしてこうしたコンセプトカーが並ぶのは実に正しい姿だし迷うことなくデザイナーも仕事したであろう。私もインダストリアル・デザイナーのはしくれとして(最近それらしい仕事から離れていますが・・)それは充分理解できるし、日産車などはそれを現実に商品として世に出しているのだから凄いと思う。
だがSF映画のようなコンセプトマシンばかりを見ていると突然「もう見飽きた」の一言が脳裏に浮かんだ。ここ10年ぐらいのモーターショーのコンセプトマシンを振り返ると多少の差はあってもすでに数回前のモーターショーにさかのぼってコンセプトカーを展示していても同じではないかとすら思う。試しに前々回あたりのコンセプトカーを展示したところでさほど違和感なないだろう。
コンセプトカーは誤解を恐れずに書くならば、絵に描いた餅だ。本来モーターショーはその絵に描いた餅を観に行くショーだし、先行するアドバンスドデザインを紹介、啓蒙する場であるというのが真実だ。だが、それを認識しつつもあえて言うならば、最近のカーデザインの方向性は世界的に、すでに食べたくない餅をここ数年描きすぎではないかと思う。
カーデザインという言葉は広義では、単に外装やボディの造形・スタイリングを指すだけではなく、その製造工程から材料、コスト、安全性、利益や技術力、信頼性など幅広い分野や性能を総合的に判断し計画、推進、商品化する総合的な意味なので、この場で私が指すカーデザインとは、造形面・スタイリング面に絞った狭義な意味でのカーデザインである。
今回のモーターショーを見ていて感じたのは最近のSF映画のようなデザインのコンセプトカーとは裏腹に、各メーカーのリメイク版デザインとも言えるニューモデルだ。過去自社で存在した車を現代風にアレンジしてリデザインした車や、あるいは当時の車、バイクのテイストや雰囲気を醸し出すデザインの車やバイクが多かった。
フォルクス・ワーゲンのバスを現代版にリデザインしたワーゲンのマイクロ・バスや初代のウイリス・Jeepをテイストや意味論として復活させた4輪駆動車のコンセプトカー。あるいは往年の名車・サンダーバードを現代風にアレンジしたニューカー。せっかく長く続いていたミニを生産中止にしてまで新しくなったミニ。バイクで言えばカワサキの古いトレールバイクの現代復活デザインの250TRやスズキのバンバン200。挙げていくとキリがないほどこの温故知新系のデザインが目立ったと感じたとは私だけだろうか。
皮肉な結果として、それぞれが基としたアレンジした当時の車やバイクの方が、ほんとうは、更に魅力的だったりするけど(笑)それはさておき、個人的には少なくともSF映画のような車やバイクよりもドキドキ・ワクワクしたのは確かだ。また市場としてもそれらを望む声があまりに大きいからこそ各メーカーはそれに答えるべく製作しているのであろう。
ある程度年齢が上の人と話をすると、どうして今の若者たちが60年代、あるいは70年代の車やオートバイを望んでいるのか、実感としてわかっていないらしい。なぜならその当時にそれらを乗っていた人たちにとっては、普通に売っていた車であり、オートバイであったからだ。単に現代のあらゆるものについて言えるこの動向を単なる懐古主義、レトロブームと捉えていると本質を見ていないのではないかとさえ思う。こんなおじさんたちがカーメーカーの中枢部にいたからこそグリルやウインカーユニットだけをレトロ風に味付けしただけのユーザーをなめた商品が一時期出回ったのだろう。
単刀直入な表現をすれば、普通の人にとってビジネスマンは背広とネクタイで電車に乗る。ところが、最近のオートバイや車はあまりに服装で言えばあまりに宇宙服のようなバリエーションばかりになってしまったため、もっとベーシックで普段着のようなデザインを求めているのではないか。 SF映画の宇宙用スーツが似合うような車やバイクを否定しているわけではない。それはそれでいいと思う。だがそれ以外にも背広のような車やジーンズのようなバイクも欲しい。
ハーレーダビッドソンというオートバイが、この世に生まれた頃の創業当時の写真を見るとスーツにネクタイ姿でいまこの姿で街を歩いていても違和感はない。だが実は100年も前の姿である。あるいは1960年代のアメ車の広告を見てもそこに写っている人々の服装もやはり背広とネクタイ姿だったりする。何が言いたいかと言えば生活レベルの服装や様式はこの100年くらい大きく変わっていないのではないかという点だ。勘違いして欲しくないのは背広とネクタイのような車やバイクが欲しいのではなく、宇宙服のような車やバイクばかりでは選択肢がないため、もっと車やバイクが普通だった頃のベーシックなカタチを求めているのではないかという例え話である。
ビジネス姿が、スーツとネクタイに落ち着いてかなり変化がないのと同様に、そろそろ車やオートバイのベーシックなカタチが、できつつあるのではないかと思う。それらのテイストや本質を現代の若者たちは直感として感じているからこそ50〜70年代の車やバイクにテクノロジーやデザインの上で、魅力を感じているのだろう。けっして1920年代のクラッシックカーのテイストには興味がないのである。この点が単なる懐古趣味ではない所以である。50〜70年代の中に、いい塩梅(あんばい)の美しさ、かっこよさを見いだしているのではないだろうか。
と、おじさん(私のコトデスネ)は感じたのであった。
November 14 .2001