渋温泉 後編

 5時起床。ツーリングの朝にまず行うことは外の天気を確認すること。そっとカーテンを開けるとまだ暗い。夏場ならとっくに夜も明けている時間だがまだ深夜と変わらないほど暗い。目を凝らすと点々と星が見える。雲の気配もない。どうやら快晴のようだ。うれしい。
 波乗りをする人がもっとも気になるのが波だとしたら単車乗りたちの気になるところは天気だろうか。晴れとか雨とかというレベルではなくできれば限りなく快晴がいい。秋の青空はとても青が深くそして深いほど地平線から天までのグラデーションの階調が無限に広がるから。

 いつものようにロードキングをひたすら押し歩く。ロードキングの重さが手に応える。走り出してしまえば身軽なハーレー・ロードキングだが取り回しはほとんど重労働キングである。エンリッチナーを引き、セルで始動。いつものように1340ccの心臓が震えながら目を覚ます。信号機ばかりの街を抜けて北上する。6時に家を出たのにすでにあちこちで渋滞だ。相模湖インターまで約60キロ。黙々と走って相模湖インターに乗る。時刻は7時30分。ケータイ電話を持つようになってせめて
時計ぐらいは外そうとしたのが今年の夏。久々に腕時計をしているのは人と合流するためだ。8時30分〜9時に中央道の釈迦堂P.Aで待ち合わせをしていた。高速に乗ってしまえばあとはすぐだろう。大月を抜けて8時5分に釈迦堂P.Aに到着した。

 しかし2週間前に較べるとずいぶん体感温度が低い。人より5度低めと言われる私の体感温度も持ってしても寒く感じる。ちなみに私は皮下脂肪のおかげで人よりも暑がりだ。人間ゴアテックスと呼ばれる所以である(っていうか自分で命名したんだけどね)。パーキングエリアのトイレの水道で手を洗うと暖かいと感じた。冬ツーリングの訪れである。いつものラングラージーンズの下には、パタゴニア製のアンダーウェアを履いてきた。2週間前のツーリングでは履くほど寒くなかったのでジーンズ1枚だった。2週間でこれほど変化していくとは。あらためて日本の四季を感じる。

 そういえば日本の四季をそれぞれ細かく分けると約2週間単位になるという話しを読んだことがあった。詳しく辞書で調べると、1年は24気(節)に分かれる。立春や秋分、あるいは冬至といった風にそれぞれ名前がつけられていた。前記のメジャーな名前は知っていたが24節全てを言える人は私の周囲にはいない。十二支などと並んで美しい日本の四季の変化を言い換える日本の季節の語として後世に語り継ぐべき重要な言葉ではないのか?と急に国語学者のような気分になる。そうそう私が興味なかっただけできちんと義務教育の中で教えられたのであろう。いまから思えばもういちど習いたい小学校の頃の授業はやまほどある。惜しいことをした。

 1年365日24で割ると15.2日なので正確に太陽暦をあてはめるのは難しいが、対応表によれば、今回のツーリングにあたる時期は霜降で前回の2週間前は寒露にあたるそうだ。2週間ぶりに走ると着実に冬の気配が近づいていた。

 さてあまりに寒いので中に入って食堂の前の自動券売機の前に並ぶ。一瞬悩んだあとに気がつくとラーメンのボタンを押していた。私の中ではラーメンは蕎麦や他の麺類の中ではそれほど高い地位ではないので、よほどの事でないかぎり朝からラーメンを食べたいとは思わない。がこの時無意識のうちにもラーメンを選択していた結果から判断するとそれほど寒かったのだろうか。そんなことを自己分析しつつ自分のロードキングに目を向けるとすでに観光バスや暖かい暖房の効いた乗用車から降りてきたであろうおじさんたちが、ローキンの回りを囲んでいる。そうおじさんたちの人気が高い車種である。

 早朝目が覚めた。窓の外を見るとすでに明るくなりかけている。静かにアルミサッシの窓の内側についている障子風の窓をあけると空は曇り空だった。昨夜の天気予報でも今日は雨。昨日が快晴。そして今日は曇りのち大雨の予感である。まあ昨日快晴の秋空の下をツーリングできたから仕方がないかなと心の中で納得する。


 携帯電話を懐中時計のように開くと時刻はまだ6時すぎだ。こんな早朝にも関わらずさすが渋温泉。朝から浴衣を着て通りを歩いている人たちの下駄の音が窓越しに聞こえてくる。この旅館の展望風呂は24時間だと聞いていたのでさっそく1人で屋上の温泉にエレベーターで上がる。しかし狭いエレベーターである。大人5人も入ればかなり圧迫されるほどだ。パリ市街のプチホテルなみだ。屋上につくと緑色の石が湯船の向こうに置いてあった。緑石だったか名前は忘れたが、ストレートな名前の岩(石)である。しばらく曇天をみながら湯船につかる。朝シャワーを浴びることはあっても日常生活で朝風呂に入ることはない。これも言い換えれば非日常の時間だ。

 部屋に戻るとみんなは静かに寝ていた。しばらくするとみんな起床。やがて朝食のコールでまた昨夜の怪しい地下道をくぐり抜けて宴会場へ。同じ場所で朝食をいただく。贅沢な要望だが食事に限っていえばやはり海に近い宿の方が好みだ。なぜなら魚やもずくや貝など海の幸が楽しめるからだ。などと言いながら結局ご飯をおかわりしつつ朝食を終える。宿の朝食は大好きである。ちなみに私はペンションが嫌いだ。理由はシンプル。以前何度かスキーツアーやツーリングでペンション系に宿泊した際に朝からパンでショックを受けたからだ。最近ではパンも悪くないなとは思うけどやはり朝は、白いご飯、納豆、海苔、みそ汁、たまご、漬け物等で朝の燃料を補給したいと思うからである。

 さて出発前にもう一度渋温泉でおみやげ物でも買ってからということでハーレーに乗り込む前に渋温泉街を少しだけ散策。照明のせいなのかやはり風情は夜の方があってよい。昨夜つまみを買った時に愛想のよかったお店で各自おみやげを買う。愛想のよさが商売につながっているのかその店だけがお客が多かった。置いてあるモノ、価格も同じとなればあとはいかに気持ちよく買い物ができるか。すなわち感じのいい応対をしてくれるかにかかっている。笑顔は商売の基本なんだということを土産物屋で再認識しつつガレージで荷物をパッキングする。と言っても私の場合はキャンプでもしない限りこの巨大な左右の箱に1泊2日程度の宿泊であれば充分すぎるほどの許容量で荷物を飲み込む。まさにFLH系がツアラーたる所以だろう。旅にでてしまえばたとえ1泊2日程度であっても真価を発揮するロードキングであった。

 さて今日は天候も期待できないのでとりあえず横手山方面へ登る。渋峠までは登らず手前の広い観光地で記念撮影。塚田さんが長野オリンピックの際の各コースを説明してくれる。撮影をしている途中からついにポツポツと降り出した。あわててカッパを着て下り始める。一度カッパを着てしまえば覚悟ができるのか雨もさほど苦ではない。もしろ山の中の雨は、都会の雨と違って、木々や山の香りを再認識させてくれる芳香剤の役目を持つ。久々にこの山の雨の香りを感じると長く自然の臭いや静寂から離れていた自分に気が付き愕然とすることもある。

 塚田さんのRVRを先頭にひとまず塚田さんの家を訪問することになった。家に到着するとハーレー4台が余裕で置けるスペースの屋根付きガレージにハーレーを停車。この時点ですでにうらやましいモードだ。

アトリエに入ると最初の部屋にはコンピューターとプリンター。それに打ち合わせのためのテーブルと一冊一冊全部見てみたくなるようなデザインの分厚い専門書が並んでいる本棚がある。右手方向に進むと次の部屋は新旧のマックがずらりと並んだマックルーム。ここだけで数人働けそうな広さだ。さらに奥の部屋は予備ルームで撮影のミニスタジオができそうな広さがあった。最初の部屋に戻ると壁にはアメリカに大勢いるアメリカ人デザイナーたちのスナップ写真やスケボーで遊ぶ写真等がピンで留めてある。壁には塚田さんがデザインしたスノーボードのグラフィックや巨大なシルクスクリーンが壁にかけてあった。もうGAOさんと私はクラクラである。うらやましいという環境をとっくに通り越しているレベルだ。急にデザインという世界を思い出し、いい年してしてハーレーなんかでフラフラ走っていていいのか?と正しい自分が叱咤する。がもうひとりの太ったバイカーズシェードをかけたブタ風の私が現れて、一言「ええんじゃ」と言い返す。やれやれ始末に終えない自我である。だがそんな事ではまだ終わらない塚田さんスタジオ訪問である。次に左手の方の扉をあけて現れた部屋はシルクスクリーン工房である。巨大なシルクスクリーンが刷れそうな道具が並んでいる。

 さらにいくつか階段や廊下や部屋を通り抜けて招かれた部屋がどうやらリビングルームのようだ。メール等にも使うらしいオレンジ系のiMacが部屋のすみに置いてある。巨大な8人〜10人は座れるようなテーブルの周囲に座る。予想通りのステキな奥様が登場し、さらに長野県産のこれぞリンゴ!と呼べるべきリンゴを味わう。旨い。今まで食べてきたリンゴはリンゴあらざるリンゴだ。本物が放つオーラを感じた。

 なーんてリンゴごときに大げさな!と思うかもしれないが紛れもない事実である。さてコーヒーを飲みながらデザインやその他の話しでしばし時間を費やしてお昼ご飯に出発。

 長野県といえばそう、やはり蕎麦でしょう。塚田さんの車に全員乗って、どこを走っているのかさっぱり不明なまま蕎麦屋に到着。

案内してくれた塚田さん

 須賀川本そば「栄忠」というお店に入る。場所といいたたずまいといい地元の人しか来ないような雰囲気にワクワク。ストーブのついた少し広いテーブルで座り各自メニューから注文。かなくなにそば切りが好きな私は普通の蕎麦を注文。ところがどうやらここの地域の蕎麦は「はやそば」というのがウリらしい。しかしながらやっぱり私は普通のそば切り系のざる蕎麦(盛りだったかも)を注文した。さすがにGAOさんはその地のメニューの選択をして「はやそば」を注文していた。蕎麦の方は旨い蕎麦だ。(すいません。ここ数年クオリティの高い蕎麦ばかり食べているのでよほど旨い蕎麦か、あすいは水準値以下の蕎麦でないと良くも悪くも判断できない蕎麦好きになってしまったようです。)

 気になるGAOさんの注文した「はやそば」は、やはり名物らしく魚も含めて豪華絢爛な皿の数。やや失敗したか選択メニューという言葉が私の脳裏に打ち上げ花火のようにあがったところ、心優しいGAO氏が、「少し食べてみる?」の一声!。
 さっそく遠慮なく少しいただくと口の中に蕎麦の香り広がるそばがきのトロトロ版とも呼べる食感が口の中に広がった。うーむやはりこちらを注文すべきだったか。
 ところでこのはやそばの語源は早蕎麦だ。確か説明書には早く作れて早く食べることができ、人手が欲しい忙しい時でも素早く食べることができるという要は北志賀高原方面独特のファーストフードである。
 作り方は沸騰したお湯にかなり細く切った大根を投入し、それが溶けた頃に地元産のそば粉を投入。それを別の付け汁につけて食べる。(汁を濁さないように食べるべしとか書いてあったような)強引に言えばそばがきの一種だが、もちもちした一般的なそばがきとは違い山芋の中に溶けた餅が入っているような不思議な食感。次回は正式のこのメニューを注文したい。

 そういえば志賀高原といえば横手山である。横手山といえばホットバイクジャパン誌が主催するラブ&ピースライド。初回と第2回目に徹夜で参加して以来仕事の関係でなかなか行けなかったが来年からは先々週の万座方面、草津、そして今回の渋温泉やはやそばなどはやくも行きたい場所がミジロ押しだ。予備知識なしに尋ねる旅先も楽しいが今回のようにさらに深く行きたい場所を知ることも楽しみである。

 蕎麦屋から塚田さん宅へ戻ったあと塚田さん一家にお別れをする。短時間だったけどももう随分昔から知り合いだったような不思議な感覚だ。恐らく一泊をともにした関係(ホモじゃないしあやしくないよ)からなのかデザインやその他の会話のせいか非常に密度の濃い時間であった。

 高速道路に乗ってからマモリくんともお別れ。クラクションを鳴らして別れた。またどこかで会いましょう。雨も降り温度も下がった高速道路をひた走る。GAO氏と三橋さんとは中央道でそのまま東京へ。私は渋滞の相模湖経由で帰宅した先々週の渋滞路を思い出して一宮御坂で高速を降りる。別れ際、2人とは短くホーンを鳴らして別れた。旅は人生の縮図とはよく聞くフレーズだが、人と出会い、そして最後は1人に。そして別れ。やはり似ているのだろう。ハーレーのクラクション社製の音が少しもの悲しく聞こえる。

 このまますごい雨にも会わずに帰宅できればなあーなどと甘い考えが通用しないのも人生と似ていた。(笑)河口湖を抜けて東富士五湖道路に乗る。いつもながらに暗闇の道路だ。どこか外国の未知なる空間を旅しているようで夜間にオートバイで1人だけで走るこの道路は怖いような楽しいような魅力的な道だ。


 

東富士五湖道路入口のわがローキン(777という番号はフィクションです)


 などと悠長な事を考えることができたのもここまで。東富士五湖道路を降りたあたりでバケツの底をひっくり返したという表現がピッタリの大雨。視界0に近い。前を行く車のテールランプだけが頼りで道幅がどこまであるのかも全く見えない。自動車もワイパーがあっても前がよく見えないのか比較的流れがかなりゆっくりなところがせめてもの救いだ。

 シールドは手で拭いても全く変わらず雨足はますます強くなる。後からトラックがピッタリとつけているがもうどうすることもできない。感だけを頼りに暗い道を進む。時々排水しきれない水たまりを通過しフットボードの上まで水をかぶる。これではまるでオフロードバイクの世界だ。

 昔北海道ツーリングや林道の途中で、道が川に水没していてその川の中を慎重にホイール半分ぐらいまで浸かりながら走ったことを思い出す。道路端に寄りすぎて縁石に乗り上げたら一貫の終わりなのでなるべく道路の中央付近を走る。しばらく生きた心地がしない視界の中を走り抜けてやっとすこし雨足も弱まり、道路の照明も見えてきていつもの雨の状態に戻った。

 再び東名に乗り走る。これまた道が大渋滞し秦野中井I.Cで降りて下道で走る。やっと小雨になった道を走って無事帰宅。1泊2日の旅は無事終わった。今回初めて出会った三橋さんまもりくん、そして長野でお世話になった塚田さん。この渋温泉ツーリングを企画してくれたGAOさんに感謝。また走りましょう!。秋の信州路に乾杯。

November 8 .2001

 

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