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 HARLEY SPIRITS (ケイブンシャ刊2300円)/後藤始久さんの写真を中心としたハーレーのムック本が発売された。この中にお恥ずかしながら(笑)私の書き下ろしコラムも掲載されている(127P)。本屋で見かけたら是非ご笑読くだされ!(そんなが日本語あるの?)。

雑誌好き

 私は無類の雑誌好きだ。本屋に入ると、ハーレー関係はもちろん他の2輪雑誌、4輪雑誌はもちろん時間があれば航空関係や船の雑誌、模型の雑誌、カメラの雑誌、Mac関連、旅の雑誌、音楽、ファッション誌、建築、インテリア、デザイン、食べ物、料理関係、アウトドア雑誌とほぼ本屋内を1周できるほどいろんな分野の雑誌を見て回る事がある。

 内容にも、もちろん興味はあるのだが、内容以外にも表紙を含むエディトリアル・デザインに惹かれて手に取ることも多い。例えばサーフィン誌NALUなどは、近くの本屋に行くと必ず場所柄なのか、多くのバックナンバーが置かれている。気が付くと思わず表紙のかっこよさに手に取り中身を見てしまう。またリラックスやスタジオボイスなども中身とは関係なく手にしてしまう事が多い。フリー&イージー誌のように特別なにかの専門誌ではないけども、特集号によっては唸って買ってしまうような雑誌が好きだ。

 エディトリアル・デザイン的に私が最近好きなムック本は、えい出版社刊の雑誌が多い。先日もAMERICAN SUVという雑誌を買ってみた。車の写真が丁寧に切り抜かれていて余白もきれいだった。日本には余白の美という言葉がある。元は書道の書物からきていると思うが雑誌の面でもこの余白の美は大切な要素だと感じた。

 「本は表紙で判断するな」とはいうものの、やはり表紙は重要だ。中身は表紙に現れる。いささか古い話しになるが、私が表紙で唸ったのは1983年の夏に創刊されたサイクルワールド誌だ。まだ高校生だった頃、本屋の棚に置いてあったそのサイクルワールド誌の表紙を見て驚いた。2輪の雑誌だったにも関わらず表紙にはオートバイの写真はなく、笑顔でまるでファッション誌のような構図のライダー片山敬済選手が全身撮影された表紙であった。その後創刊後10号分ぐらいはそれぞれにインパクトのある表紙が続いた。やがて1年を経過したあたりから表紙もマンネリ化してきたが私はこの雑誌をかなり長い期間買い続けた記憶がある。残念ながらこの雑誌は今はもう廃刊になっている。

 逆に地味ながらも長い歴史と濃い内容に驚くような雑誌もある。今年の夏のはじまる前に私も所属するHDO(ハーレーダビッドソン&ダッチオーブン)の取材で、「暮らしの手帖」から雑誌取材を受けた。この雑誌の存在は以前家電メーカーに在籍した時代に家電品のテスト記事の回覧で知ってはいたが、取材後写真が掲載された号が送られてきて、初めて最初から最後まで読むと実に素晴らしい内容だった。お世辞にも新鮮さがない誌面構成、オーソドックスな書体。まあ悪くいえばかなり古くさいエディトリアルデザインだが、良く言えば伝統的かつ普遍的で、表層的な流行にとらわれない中身勝負の雑誌であるとも感じた。時代の流れとともに多くの雑誌が創刊されまた廃刊に追い込まれる中、何十年も続くというのはそれだけで歴史から評価されている証拠でありとても偉大だ。

 私にとって雑誌と趣味の相関関係にはある種の法則がある。新しい興味対象ができた時、その関係雑誌を買いあさり、興味対象の写真や記事を重点的に読む。これが初期段階。やがて次の段階では、はじめから終わりまでくまなく読む時期。そして後半が惰性で買うけども初期の頃のように発売日がさほど楽しみでなくなってくる時期だ。

 飽きっぽい性格の私だが不思議とオートバイ関係の雑誌だけは1980年代初頭から、もうかれこれ18年近くも買い続けている。我ながら驚きだ。途中シングル(単気筒)からオフロードバイク、ロードバイク、そして現在のハーレーへと時期によって嗜好の変化はあったものの、いまだに2輪への興味は尽きない。(悪く言えば高校生の頃から成長がないとも言えるが)まあ私にとっては尽きることのない魅惑の世界であることは疑う余地もない。

 自分でホームページなるものを4年も前からはじめている割には、いささか矛盾するがWEB上のコンテンツ(内容、文、写真含む)は雑誌上のコンテンツほど好きではない。紙の印刷物が大好きだ。うまく言えないけどこの事に特に理由はない。ただ漠然とネット上のものは印刷物より希薄な感じがするという私的な気持ちの問題だ。

 どちらも画面あるいは紙という2次元に3次元の空間なり物質を表示あるいは印刷したものにすぎない。なのに漠然と感じるこの差は不思議だ。もし両者に差があるとすれば、それは光の3原色であるRGB画面とインクのCMYKが紙の上に付着した物体の差だ。たとえば液晶なら次の瞬間全く違う2次元の世界をその液晶のシャッター効果によって映し出すのに対して、紙に印刷されたモノは経年変化によって消滅しないかぎり永遠にそこに存在する。その物質としての現実感の差が、ひょっとしたらわずかながらに画面の映像よりも紙の印刷物をリアルに感じて、それを私が好む理由なのかもしれないと感じた。

 さてその大好きな雑誌を眺める時間、あるいは読む場所というのは大切になってくる。たとえば大好きな作家が書き下ろエッセイを買った雑誌に偶然掲載している場合などは、特にその部分を読むにふさわしい場所と時間を無意識のうちに配慮している。
 できれば十分な時間、そしてなにかの外因によってその時間が遮断されることのない時間と空間を探したい。

 たとえば数時間は確実に拘束される飛行機や電車の時間。あるいは特別予定のない休日の午後、お気に入りのCafeの片隅もふさわしい。また自宅の場合は早く目が覚めすぎてしまった早朝に自分で入れたコーヒーを片手に読むのもいい。オープンテラスや風の抜けるバルコニーがあればそこでビールを飲みながら雑誌をめくるのもいいだろう。

 平日の深夜であれば書斎で静かにコルトレーンのバラッドを聴きながらバーボンをなめつつとページをめくるのも悪くない。

 場所や時間は個人の自由だが、せっかくエディターやデザイナーが苦心して創った雑誌を、せわしない時間に斜め読みというのはいささかもったいない気がする。読み手も作り手の意識を感じながらきっちり楽しみたいと思う。

ところで、今回私のコラムのページのクレジットには「納豆好きの35才」と書かれていた。元の原稿には蕎麦好きだとかいろいろ他にも、かっこよく書いたつもりなのに(笑)なぜか納豆好きの文字が残った。しかしこれではあまりにも納豆臭い感じがするではナイカ!(確かに納豆は毎日欠かさず食べているので事実に相違はないけれどなんだかねえ。

 ところで雑誌を読みながら納豆を食べるのだけはやめた方がいい。理由は想像どおりの酷い事態を招く事があるからだ。

SEPTEMBER 26.2001

Presented by Hitton

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