番外編(鈴木氏のカメラウイルス) 

難しかった”キャノネット”

少々大げさですが、私のカメラ人生について、語ってしまいましょう。マニアと云えるほどでもありませんし、局所的なのめり込み方ですが、少年時代から、最近までの私なりのカメラとの関わりです。

私にとってカメラとの出会いは、偶然ですが河野君と同じ”キャノネット”で、出所も同じ”親父”から借りたのが始まりでした。11〜2歳の頃でした。当時、世に有名な”スーパーカーブーム”で、環状8号線沿いの外車屋さんをまわって写真を撮るのが流行っていました。

 私は当時から少々変わっていたようで、こういう流行を尻目に被写体は専ら国産車でした。私の場合、スーパーカーブームより以前から車好きで、親父の車を磨いたり、カー雑誌を眺めたりしていました。ですから、近所の”スーパーシビック”や”パブリカ”などを撮ったのを憶えています。

 何か面白い車はないかと、町を自転車で走り回っていたある時、トヨタの販売店にシルバーメタリックのトヨタ2000GTが展示されていました。「うおっ。」と驚きながら2000GTの周りをくるくる回りながら見ていたら営業マンの人が出てきて、「僕、車好きなの?すごいでしょ2000GT。」と話しかけてきてくれました。その後「ちょっと待ってて。」とキーを持ってきて中を見せてくれ、運転席にも座らせてくれました。写真も撮りました。露出不足でやや暗い写真になってしまいましたが、ポルシェやフェラーリやランボルギーニミウラなどを撮ってきた友達との写真交換会でも、トヨタ2000GTは出さなかったのを憶えています。シビックやパブリカでは参加資格がないという感じで、「ふん、流行に踊らされて。」と独りシビックやパブリカの写真を見ながら、「CVCCエンジンは低公害なんだぞ。」と少年らしからぬところに興味を抱いていたのでした。しかし、この”キャノネット”は何度撮ってもうまく撮れない、難しいカメラでした。というのも、親父が十数年もしまいっぱなしにしていたせいで、露出計が正しく働かなくなっていたようです。何故か親父は少しづつ違うキャノネットを3台持ってました。

◆”メカニカル”&”マニュアル”絶対論◆

その後、高校生の頃、自分で現像までやってしまうマニアの友人との出会いがありました。この友人は熱心なペンタックス信望者で、しかもこの友人の親父さんが、石川島播磨重工の技術者だったもので、彼は親父さんからカメラにおける”メカニカル”とか”マニュアル”という概念を教育されており、私も彼から同じ教育をされたのです。

例えば、「電池がなくなったらどうする?」という脅迫めいた”メカニカル”論から始まり、「自分で決めた設定でなくて、俺が写した写真って云える?」という”マニュアル”論になり、「プロを見てご覧。」という結論に至るのです。この彼とは、彼の家でよくモノクロ現像をしたものです。

こうしてカメラのことを少しづつ判っていくと、(洗脳されていく、とも云える)当時”カメラロボット”と称して一世を風靡していたキャノンA-1

よりも”一眼レフはニコンF”という思いがつのっていったのでした。これは、ある種のニコンのF神話に憧れた少年の想いでもありました。

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