LEICA PAGE 

ライカウィルス感染源

 ライカはその存在ぐらいはわりと以前からしっていた。でも雑誌で見たぐらいで印象としては、高額で前時代のレトロカメラ、時計でいえばロレックスのようなモノという印象だけだった。実際今でも現行機種が存在し、かつ1眼レフにはない長所や魅力があることを知ったのはまだ最近だ。身近で見たのはまずドイツでオーボエ奏者として活動していた叔父が戻ってきてからだった。M4 だった。でもその時はフーンこれがライカか。という程度の記憶しかない。本格的に感動したのは、年令は離れているがいとこにあたる絵師(絵描きですな)の吉備団太のライカを見てからだ。このいとこは中年をとっくに?すぎてからバイクや車の免許を取得したり(SRにずっと乗っている)と趣味の面で話が合うので以前家が近いところにあった時はよく遊びに行っていた。

 ライカは香港で購入したらしく、カナダ製レンズのズミクロン50mmと28mmエルマリートがあった。まずファインダーを覗いて感動した。恐ろしくクリアーでクリスタルを通して見たという表現がピッタリの感動だった。まあファインダーごしに見てるだけなので、明るいのは当然だが、家にあった昔のキャノネットのイメージで覗いてみたら、あーらびっくりのクリアさに驚いたのだ。さらにピントの合わせかたや各部のクリック感や精密さ、緻密さ、 まさにメュサーシュミットの照準器を覗いているような(そんなもの実際みたことないのであくまでもイメージだが)気分にすっかり虜になってしまい、この日をもってライカウイルスはわが精神を奥深くむしばんで行くのであった。

 ただやっぱりライカは高嶺の花で実際に購入するまではさらに数年を要した。円高ドル安だった数年前のある夏の日の夜に先輩デザイナーのS氏と電話でカメラ話をしていたら、今銀座のライカを扱っている店だとM6の新品を17万ぐらいで売っているよとの話で、えええっ!あのライカが購入できるなんて!と心を奪われ、それから1ヶ月もたたないうちに夢のライカが手元にやってきていました。今から思えば史上最も安くライカが買えた時期だったわけです。購入の日はそのいとこにもついてきてもらってアドバイスを受けました。レンズがないことにはどうにもならないのでその興奮状態のまま東京都内のライカレンズを扱っているお店をめぐって最後に入った店で備品のズマロン35mmレンズを購入しました。これはM6に付けて使用するにはツメの加工が必要ということで、日暮里にあるまた別のお店に改造を依頼しました。

 それから数年の間はいとことライカ話で盛り上がり、ますます二人のライカウイルスは激しくなって行きました。かといってお金にモノをいわせてぶりぶりと増殖をする悪玉ライカウイルスではなかったようで、相変わらずぼくのライカは1台だけです。いとこの方はM3が追加されましたが、その状態で収まっています。ぼくが1台に収まっているのは、ライカウイルスの末期患者の多くが、雑誌や書籍等など1台にとどまるべきであることをいろいろな場所で警告していたからです。

 当時国産カメラ病にも少し感染していましたが、ライカを購入したら、その日影響力のあるライカウイルスが、国産カメラウイルスを少しづつ駆逐していきました。まずミノルタの7700iを会社の同じ職場の人にレンズ、ボディー、ストロボ、ケースのセットで1万8千円で売却。ミノルタのアルファー9000とミノルタのAPO200 mmの白レンズとモータードライブ、50mmのマクロレンズを確か8万ぐらいで売却。これらの資金を元手にライカレンズを(ライカウイルス増大)購入。ズミクロンを買おうと思ったのですが、どうせならと思い(なにがどうせならなのか自分でもぜんぜんわかりませんが、このあたりもおそるべしライカウイルスの力か?)ズミルックスの50mmを購入してしまいました。確かこれも16万ぐらいだったと思います。ズミルックスを買っていとこに見せると、ズミルックスはデラックス。そう覚えれば覚えやすいと、意味のない会話をしつつライカの話しだけで何時間も話しをしてしまう身近なライカウイルス感染者のいとこ。そうです。今から思えば、いとこから決定的にライカウイルスに感染してしまったのです。

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